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2016年06月10日 ビズアップの歴史 メールマガジン 【第334回】写真付き!代表津久井のとっても「くどい」自己紹介

2016年08月19日掲載開始

こんにちは。
ロゴ作成専門ビズアップ 津久井です!
https://www.biz-up.biz
ついに迎えてしまいました。
6月8日、
何の日かご存知でしょうか。
私の生誕記念日です(笑)
はい、
先日水曜日に誕生日を迎えまして、
ついに40歳となってしまいました!!!
30歳で独立をしましたから、
まさに「三十にして立ち」、
そして
「不惑」の四十を迎えたのです。
そんなわたくしですが、
まだまだ未熟です。
当たり前ですが。。。
しかし、
ビズアップという会社はつづいていくし、
つづけていく意志ももちろんあるし、
ビズアップの成長を阻む「何か」があれば、
それがなんであれ断固戦っていきます。
「戦っていく」なんていうと物騒ですが、
昨日、それを感じさせる話を聞いたもんで
テンションがおかしいかも知れません(汗)。
そんな、
気持ちを新たにスタートした
40代最初のメルマガ、
先週のメルマガでは写真付きで
ビズアップのスタッフをご紹介しましたが、
今週はあらためて
ワタクシの紹介をさせていただきたいと思います。
ちなみに、
いつも以上に長いです。
また、
ご興味がない人には
まったく響かない内容だと思います。
なので、
ムリに読まないでください。
読むとしてもお昼時や3時のおやつなど、
一息つきたい時に読み流してください。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
1976年6月8日生まれの40歳。
出身は東京の練馬区という場所です。
なかでも大泉というエリアでして、
子供のころは
・大根畑(練馬大根)
・キャベツ畑
・芝生
だらけのわりと田舎なほのぼのした場所でした
(今は住宅地と化しました)。
芝生に入ってサッカーなどをやって
よく地主さんにものすごい叱られていましたが、
この芝生は
ゴルフ場に納めるための芝生だったそうです。
何が言いたいかというと、
ゴルフ場が乱立した時代、
バブルに差し掛かるころ、
バブルの最中、
こんな時代に少年時代を過ごした、
ということです。
兄弟なしのひとりっ子
(「うわー、ひとりっ子かよ」という
リアクションはしないでくださいね 笑)。
横浜国立大学経営学部の出身で、
新卒から3社を経験してビズアップを創業。
次の8月で創業から丸10年です。
家族は
・妻ひとり(当たり前だろ)、
・長男(9歳)
・次男(7歳、しかも誕生日が同じ)
・長女(10ヶ月)
の5人家族です。
とまあ、
これがわりと普通の自己紹介。
さて、
ここからが私の自己紹介の本番です。
よくセミナー等でもお話するのですが、
けっこう特徴的だと思います。
なぜかというと、
自分のコンプレックスを隠さずに
話すからです。
そして長い。セミナーでは
自己紹介だけで30分くらい話す場合もあります
(気持ち悪いですよね 笑)。
ではスタートしてみましょう。
※
お話は普段セミナーで使っている
自己紹介の資料を使って行わせていただきます。
●まずは表紙
→ http://bit.ly/1U4nym0
「その1」とありますが無視してください
(セミナー資料なので)。
3歳ごろのかわいらしい自分の写真を
お見せするためだけのページです(笑)
そしてここからですが、
一部のお客さまにもご理解いただいているとおり、
私のコンプレックス = 行動の源泉がコレです
(ご存じの方、多いと思います)。
→ http://bit.ly/22WXz0r
コンプレックスは武器になります。
コンプレックスはその人の「why」です。
コンプレックスはその人の人生で
かけがえのないスキルを与えます。
私に限らずたいていの場合、
【コンプレックス ≒ 過去の自分】
なわけですが、
私の場合、コンプレックスは
「なぜロゴデザインの仕事をしているのか」
にもつながってきます。
どういうことか。。。
もう少し先に進みましょう。
●普通 その1
小学校時代のお話ですね。
→ http://bit.ly/24EjfxC
子供のころの私は、
自己重要度がものすごい高かったと思います。
そんな私にとって、この時期の
「存在感がない」
「普通の人」
というまわりの評価は
何ものにもかえられないくらい辛いことでした。
ある日、
象徴的な出来事が起こります。
通信簿でオール「ふつう」をとったのです!
※※ 当時の通知表は
「よい」「ふつう」「もう少し」の3段階評価
「ふつう」の欄に
縦一列に打たれた「◯」を見て
客観的に、そして定量的に
「君は価値ないよー」
と言われたと痛烈に感じました。
「ふつう」ではなくまだ「悪い」と
言われたほうがマシだと。。。
もちろん、
こんなことはどうでもいいと感じる人が
大半だと思います。
しかし、
私はそれを見て愕然としたのです。
私にとってはものすごい重要だったのです。
この時、
まだ言葉にはしきれませんでしたが
明確に自分のコンプレックスを実感しました。
このころ両親は2人で会社を経営していましたので
ものすごく忙しく、私はひとりっ子で鍵っ子でした。
あまりそれを不幸だと思ったことはないですけどね。
※私の両親を紹介した過去のメルマガ(これも長い)
【第321回 小学1年生のときに死にかけた話】
→ http://bit.ly/1UGlZrq
ある時
「夕飯にビーフシチューを食べたい!」と
母親にねだったところ、
「バカタレ!
 そんな手の込んだモノ、
 クソ忙しいのに作れるか!」
と一蹴されたことがあります。
そのくらい忙しい人達だったんです。
夕飯を食べた後は
お酒が入っていることもあり、
父親はそのまま居間で雑魚寝、
母親は夕飯の後片付け。
遊んでもらえない私の趣味は、
もっぱら
・ひとりでトランプ
・ひとりで将棋
・ひとりでお絵かき
・ひとりで自分で考えたゲーム
などなどでした。
ちなみに
ファミコンは1週間に1時間しか
やらせてもらえませんでした。
1日ではなく1週間で1時間です(苦笑)
でもこの時に、
どんなつまらない状況でも
「どうやったら楽しくなるか」
を考える力がついたよう思います。
また、
私はおもちゃを
ほとんど買い与えられない子供でした。
「誰も遊んでくれない、でも楽しみたい」
「なにも与えられない、でも楽しみたい」
こうして得たスキルのひとつが創造性です。
自分が楽しいと思う何かは
自分で作り出すしかないのでした。
実はワタクシ、
小学校一年生の時に死にかけています。
重い肺炎にかかり、学校を2ヶ月休学。
血液数値は80歳、90歳のもうすぐ天寿を
全うされるくらい体調が悪い方の中でも
1人か2人くらいしかいないレベルで
両親はお医者さんから
「覚悟しておいてください」と言われたそうです。
ただ、
その病院の先生(普通の町のお医者さんだけど
とても評判が良い先生でした)の、
「この子は入院させないほうが良い」
という判断で自宅療養でした。
その時、
はじめて夕飯にビーフシチューが
出てきました。。。
母親も
「もう長くはない、最後くらい好きなもの
食べさせよう」と思ったのでしょう(笑)
●普通 その2
→ http://bit.ly/1WHqvcR
自分のコンプレックスは
中学生でさらに大きくなります。
新しい環境で存在感を何としても
示したかった中学生の津久井少年は、
入学早々クラスで悪目立ちし、
少しいじめにあいました。
まあ、
いじめにあった理由は
別のいじめにあっていた子を
かばったのが本当の理由なんですけどね。
目立とうとしていたので
正義感を発揮してしまったわけです
(悪いことではないですけどね)。
それに、どうしても
やり返そうとしてしまう性分だったのと、
このころは空手を習いはじめ、
習いたてなのになぜか腕っ節に
自信があったので(笑)
それほど長引かず、
1年生が終わったころには
いじめもなくなっていました。
それとは別に、
所属しているサッカー部によって
コンプレックスはよりひどくなっていました。
私の通っていた大泉中学校は、
サッカー部はとても強かったです。
子どもの人口が多く
サッカーのレベルが高い練馬区で
優勝するくらい強かったです。
そんな、まさに練馬区で
優勝が決まるかという区大会の決勝戦で
自分の両親含め、
応援しに来た大勢の保護者の目の前で
顧問の先生に、
「津久井、ゴメン!ベンチにも入れてやれない!」
と言われる始末。
先生に向かって顔を引きつらせながら
精一杯おどけて笑ってごまかす自分。
横目になんとなく見える自分の両親。
後輩でベンチ入りしている人間も当然います。
私たちの学年ではベンチに入れなかったのは
私ともう一人だけでした。
もちろん、
厳しいスポーツの世界ですからそんなこと当たり前。
ただ、
そのサッカー部のエースは、3歳から遊んでいて
家も同じアパート内にある幼なじみだったんです。
先輩、後輩、友人、先生、女の子、
そしてうちの両親からも絶大な人気があって
しかもサッカー部のエース、それが幼なじみ。
否が応でも比較してしまう自分。
こんな出来事の数々が
私の原型を作っていきました。
高校受験の時、
好きな子を追いかけて自分の偏差値より
15低い高校に入学することに決めました。
今思えば、
好きな子がどうのこうのよりも、
そんな理由で高校を選ぶ(偏差値を下げる) という
「普通じゃない行動」
をしたくて仕方なかったんだと思います。
●存在感の示し方を少し掴んだ高校時代
→ http://bit.ly/1Uq9RIB
誰もが
「自分のレベルよりも高いところ」
「自分のレベルと同じくらいのところ」
を目指す高校受験で
「自分よりレベルがはるかに低いところを目指す」
という
誰も取らない行動を取った自分に
不思議なことが起こります。
まず、
勉強は何もしなくても学年で二番に(その後一番に)。
サッカーのレベルが高かった練馬区で
優勝するくらいのチームにいたおかげで
高校入学早々いきなりサッカー部でベンチ入り。
「ねえねえ、あの人よ!
 サッカー部でいきなりレギュラーになって
 勉強がすごいできる人~!」
みたいな女子たちのささやきが聞こえ、
人生初のモテ期到来(幻聴かもしれませんが)。
中学時代苦手だった数学が
ちょっとした成功体験でものすごく得意になり
偏差値が東京都で28位に。
これは、 自分のレベルと同じ、
もしくは自分のレベルより高い高校に
行っていたら得られなかった実績だと思います。
レベルの低いところに行った結果、
成功体験がもとで レベルの高いところの人よりも
良い実績をあげてしまった。とても不思議な体験でした。
その後、
セルフイメージの上がりまくった津久井青年は
偏差値50(入学してからはもっと低かったかも)の
その高校から現役で横浜国立大学に推薦を目指します。
担任兼サッカー部顧問の、
「そんな無謀なチャレンジはやめてくれ!
 お前なら推薦で確実に入れる大学がある!
 そこに行ってくれ!(オレの業績評価に関わる!)」
という言葉をガン無視。
成功体験で調子に乗っていたので
怖いものなしだったんだと思います。
入試本番では筆記試験は撃沈しましたが、
しゃべり(=面接)だけで
本当に横浜国立大学経営学部に合格し、
全校朝礼で「数十年ぶりの快挙」と発表されました。
たぶん、超ドヤ顔だったと思います(汗)。
バンドではラジオに出演
(もちろん素人ですが。。。)
クラスでも中心的な存在になり、
「反抗的な学級委員長」として
先生に向かって消しゴムとか投げてましたね。。。
「運動ができて、勉強ができて、大人に歯向かう」
若さからか、
こんなのがかっこいいと勘違いしていて、
まわりも若かったから実際に評判が良かったわけです。
とにかくこの時期は
自分のセルフイメージの形成で
大きな意味を持つできごとが多かったです。
●存在感がおかしい方向にいった大学時代
もっと目立ちたい、
と思っておかしな方向にいったのがこの時期。
見ての通り、完全にオ◯ム真理教です。
→ http://bit.ly/28oRxcP
実際に
この数週間前に地下鉄サリン事件があり、
当時
汚いネルシャツとラッパズボンという
出で立ちでこの顔をしていた私は
駅員に何度後をつけられたかわかりません。
そして、
もっと目立ちたいと思っていたくせに、
ある時、急に燃え尽きます。
高校生時代の華々しい
(と勝手に思っている)時代から一転、
急に冷めて(覚めて)しまい、
家に引きこもって電気を消して
夜な夜な暗闇でギターを弾く
(しかも大して弾けない)という、
「達観した自分」に酔ったパフォーマンスを
していました(誰も見ていない)。
「暇だから死のうかな?」とか
思っていましたし(これもパフォーマンス)。
勤労意欲はほとんどなく、
バイトも週に1~2日くらいしかしませんでしたし、
本当にどうしようもない時期でした。
今、
こんなに働いている自分が本当に不思議ですし、
こんなに仕事がキライで
自分は社会に出てやっていけるのかと
大学生時代は冗談抜きで思っていました。
毎日、
サッカー、バンド、麻雀に明け暮れていました。
大学時代に組んだバンドでは、
在学中にインディーズでCDをリリースしました。
就職活動の時期のこと、
「就活しないで1年間バンドをやろう!」
とメンバー同士で誓い合った2週間後、
メンバーのひとり(ボーカリスト)が
他のメンバーに内緒で就職活動を
していることが判明(苦笑)。
怖くなって
慌てて自分も就職活動を開始したのでした。
●社会人から独立まで
→ http://bit.ly/25OCw5e
就職先を決めたのは、
「その大学からは誰も行こうと思わないだろう会社に行く」
といういつもの思考パターン+直感でした。
このころは就職氷河期でしたが、
言ってもまだまだ先輩たちは大手企業を目指し、
実際に入っている人も大勢いました。
私はどう考えたかというと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
将来独立するかもしれないし、
小さくて社長との距離が近くて
どんな仕事でもやらせてもらえそうなところに行こう。
うちの大学からそんなところ行く人いないだろうし。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな感じでした。
リクルートの情報誌を見ていて
「あ、オレこの会社に入るな」と
直感した会社に本当に入社してしまいました。
その会社の説明会には
300人以上来ていたようですが
説明会経由で入社したのは私だけでした。
やはりうまいこと存在感と存在価値を
その会社を受けた誰よりも示せたのです。
前述のように
わりと高学歴と言われる大学生に
まだまだ大手を目指す風潮がある中、
私くらいの学歴の人が就職試験を受けるのは
その会社にとってはじめてだったのです。
このころには
このくらいのこと(存在感を相対的に高めること)は
感覚的ではありましたが御手の物になっていました。。。
本当は、
ゼミの先生に気に入られて
「都市銀行ならどこでもコネで入れてやる」
と言われたのですが、
存在感を示す自分の勝ちパターンから
外れていたので断りました。
就職氷河期1年目、
前述のようにまだまだ誰もが
大手に何とか入ろうとする中、
この規模の会社に入ったのは、
大学内でも私だけだったかもしれません。
結果、
入社した会社で目立ちます。
社長が今まで10年間、
誰にも引き継がなかった仕事を
入社3ヶ月でいきなり引き継ぎ、
営業成績が自動的にTOPに。。。
社長に近いポジションで
仕事をさせてもらえたので、
ものすごくきつかったですが
ものすごく勉強になりました。
名古屋の本社にいる社長からは
1日20回くらい「津久井はいるか?」
という電話がかかってきました。
自分の仕事もなかなか
手を付けられない状況でしたし、
社長からははっきりと
「お前はオレのロボットになれ」と
言われました。
自分の存在感、
存在価値を感じたい私にとって
大嫌いな言葉でしたが、
修行、丁稚奉公と思って
2年間社長の言いなりになって
がむしゃらに仕事しました。
2年したところで爆発して
社長と電話で大げんか。
頭にきて
「もういいです!」
と言って電話を切ったら、
10秒後にまた社長から電話がかかってきて
「ワシより先に電話を切るんじゃない!!!!!」
と怒鳴られてガチャ切りされました(笑)
その時会社を辞めたいとも思いましたが、
理由が一時のネガティブな感情に
だいぶ引っ張られたことだった上に、
その時の東京の支店長に
その社長の独立前後の武勇伝
(本当にすごい)を聞かされて
自分の足りてなさ、甘さを痛感して
また心を入れ替えて働きました。
このころ、
仕事はとても忙しかったですが
バンドのメンバーと同居するなどして
なんとか時間をつくってバンド活動もつづけていました。
そして、
大手レコード会社からCDをリリース、
あと一歩でメジャーデビューできそうでしたが、
ある日、
ライブの当日にボーカリストが失踪。
そのままバンドは空中分解しました。
バンドが空中分解したことで、
自分の存在感、存在価値を示すには
もう独立しか道がないと考え、
そこからさらにがむしゃらに働きました。
結局6年間、
デザインと営業、印刷についてみっちり勉強し、
マーケティングを勉強するために転職。
新しい会社はなんと、
私が入って9ヶ月で潰れてしまいました。
はたから見たら転職失敗だと思います。
入社前に約束した金額の給料も
もらえませんでしたし。
しかし、
そこで直属の上司になった取締役が
マーケティングがものすごくできる方で、
その人に仕事を通して
すべて叩きこんでもらうことができました。
約束の給料がもらえませんでしたので
結婚資金で貯めていたお金は
すべて生活費で消えましたけど。。。
3社目、独立前の総まとめとして
ヘッドハントされた会社は
飲食業のコンサルティングの会社でした。
そこでは、
・撮影
・デザイン
・原稿作成(ライティング)
・印刷手配
・ECショップ店長
・新店オープン準備
・採用活動
・人材教育
・営業
・接待
・お茶くみ
・コント(ネタ作りから)
・ものまね
など
全部やりましたね(どんな会社だ??)。
入社して半年後でした。
結婚1ヶ月でヨメの妊娠が発覚。
子供が生まれてからでは
自分は守りに入ってしまい
独立できないと思い、
1ヶ月くらいもんもんと考えた結果、
ヨメに
「子供が生まれてもメシが食えなかったら
 会社員に戻りますのでチャレンジさせてください」
とお願いし、許可を得ます。
そこから会社に辞表を出して、
何のビジネスをやるか考えはじめました。
会社は辞表を出してから
2ヶ月半辞められませんでしたが
(しかも円満退社したかったので
最後2週間はタダ働きしました)、
その間にいろいろ思考を巡らせ、
ロゴマークのビジネスにたどり着きます。
でも、
これもよくよく考えなおすと
自分の必勝パターンでした。
ヨメの妊娠発覚で
独立に踏み切るなんて非常識な人は
ほとんどいませんから。
そういう時こそ、
自分の能力が発揮されると
直感的にわかっていたし、
まさに今お話しているように
いつかどこかで「ネタ」になると
その時から考えていました。
でもまわりは心配ですよね。
結婚したばかり、
そして妊娠したばかりのヨメの両親は
「おい!大丈夫なのか!」
とヨメによく連絡してきていたらしいです
(ヨメの親戚一同、豊田市在住で
 トヨタに最も恩恵を受けた世代)。
そしてなぜか私の両親も私ではなくヨメに
「大丈夫か?」と連絡してきていたようです(笑)
ヨメの友人は
「あんたのダンナはイカれてる!」
「絶対あり得ない!何考えてんの?」
とみんな口を揃えて言ったそうです。
こういう声を聞けば聞くほど、
「よしよし、ネタが集まっている(ニヤリ)」
と思ってしまうんですよね(汗)
独立の準備に要した時間は1ヶ月。
あとは独立後に「走りながら武器を拾って」
戦っていました。
人間、
本気になれば1ヶ月で何かを成すことが
できると本当に実感しました。
もちろん、
それまでの修行や勉強、
準備がなければそれもできませんが。
独立してから4ヶ月、長男が誕生。
何とかメシが食えるようになっていました。
●最後に・・・
最後に、
津久井がなぜロゴ専門のデザイン会社を
やっているかについてお話します。
→ http://bit.ly/1XdgkN5
ロゴマークは、
存在感、存在価値を表すシンボルです。
お客さまの会社が、商品が、サービスが
確かに存在することを示すものがロゴマークです。
存在感のなさにコンプレックスを感じた人間が、
お客さまのビジネスの存在感、存在価値を示すことを
仕事に選んだ。
これが無意識ながら
自分が選択してきた道だったというわけです。
そして、
ビズアップという会社の最も強いUSPでもあります。
デザインと文章、
言葉と画(え)、
このメルマガでは何度も登場しましたが、
この2つについて私が語れるのは、
自分の存在感、存在価値を示すために
必要なスキル(=表現)だったからです。
つまり、
私たちの仕事はこう言い換えることもできるわけです。
「言葉とデザインでお客さまの会社を表現し、
 存在感、存在価値を示す仕事」
ロゴだけでなく、
パンフレットやホームページ、名刺などのお仕事は
すべてこの価値観でやっています。
こんな価値観で
仕事をしている会社なんて他にありません。
だからもっとも強いUSPなんです。
生き様だけはパクれない。
★御社の魅力を最大限に表すのに最も適した言葉とデザイン
これを
つくりあげるのが本当の私たちの仕事なんです!
ふ〜、長かった。。。
さて、
つらつらと独りよがりなお話をしましたが
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
少しでもビズアップを
好きになってくださればうれしいです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
今回はここまでです!
津久井
好評いただいてます。
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どんなことでもお聞きください!!
★デザイン無料相談フォームはこちら!
→ http://bit.ly/FOETmu
・お客さまの声 映像版!
→ http://bit.ly/1zoPxPe
・ビズアップFacebookページ
→ http://on.fb.me/tat0VW
・代表津久井Facebook
→ http://on.fb.me/xw0ezH
・ビズアップtwitter
→ http://bit.ly/xG4wHW
--------------------------------------
※メルマガやビズアップサービスについての
お問い合せはこちらまでお気軽にどうぞ。
雑談レベルで構いません!
【連絡先】
・お電話:03-5876-8656
   担当:津久井
   受付時間:平日10:00~18:00
・メール:support@biz-up.biz
   津久井宛
   24時間メール受付中

投稿者プロフィール

津久井 将信
津久井 将信
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。

かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。

2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。

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