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2017年09月01日 ビズアップの歴史 メールマガジン 【第395回】あらためまして、ビズアップです(12年目突入のご挨拶にかえて)

2017年10月27日掲載開始

こんにちは。
ロゴ作成専門ビズアップ 津久井です!
https://www.biz-up.biz
やった!やりました!
サッカー日本代表が
ロシアワールドカップ出場を
決めました!!
わーい!
そんな私は
昨日はテレビの前にかぶりつき、
ではなく。。。
間違えて
呑み会をいれてしまいました。。。
試合日程を把握してなかった!!!
しかし、
トイレにいくたびにスマホで
速報をチェックし、
ゴールが入ったら
You Tubeですぐにゴールシーンを
確認する、という情報収集ぶり。
相性の悪いオーストラリアを相手に、
本田や香川、岡崎などの
いわゆるスター選手を使わずに
勝利したというのは
とても大きな意味を持ちます。
あ、
サッカーが好きじゃないと
何のことかわからないですね。
思えば日本がはじめて
ワールドカップに出場したときのこと。
以前のメルマガでもお話しましたが
その前の大会は
・ドーハの悲劇
でロスタイムに
ワールドカップ出場を逃すという、
サッカーファンにとっての
一大事件がありました。
そこからの
ワールドカップ初出場。
ワールドカップ試合当日、
バンドのレコーディングを
ちょうど終えたばかりの私は、
新宿コマ劇場前にできた
異様な人だかり(1万人超!)が、
オーロラビジョンで放映されている
試合の中継だったことを知り、
そのまま応援に加わりました。
当時、
日本代表の司令塔は
若干21歳の中田英寿。
21歳というと、
A代表に呼ばれるだけでもすごい。
なのにすでに司令塔。
その活躍ぶりが評価された中田英寿は
その直後にイタリアサッカーリーグで
プレーすることになります。
イタリアでのデビュー戦がまたすごかった。
イタリアトップリーグ「セリエA」に
昇格したばかりのチームに入った中田は
超名門ユベントス相手に2点を上げました。
これがどんだけすごいことか。
夜中に生中継を見ていた私は
1点目で叫び、2点目で唖然としました。
あ、
サッカーが好きじゃないと
何のことかわからないですね(本日2回目)。
私は中田英寿と同い年
(彼は早生まれで学年が一緒)。
当時、私は大学4年でした。
バンドすんのか就職すんのか
はっきりしないしょうもない状態。
同い年で何?この差。
それにしても
中田英寿はかっこよかった〜
(今でも私のヒーローです)。
こうなりたい!
オレもかっこよくなりたい!
人から尊敬される男になりたい!
そんなことを強く思いましたね。
そんな私は、
自分の理想のかっこいいがゴールとしたら
いまだにスタート地点から100mくらいしか
進んでいないと思います。
遅っ!(汗)
何をチンタラやってんだ、
とたまにほんとに自分に対して思います。
でも、
なんとか会社も11年つづけてこれました。
まだまだカッコイイなんて程遠いし
尊敬なんてされるレベルでは
全然ないのですが、
まあ、
ひとつ評価をしてもいいかな、
というところではあります。
一応100mは進めたね、と。
今日から9月です。
実はビズアップは今日で
創業から12年目に突入します。
だいぶ前置きが長くなりましたが、
本日はカンタンにビズアップの歴史を
振り返ってみたいと思います。
あまり興味が無いかもしれませんが
お時間があるようでしたら
お付き合いください。
●
11年前の9月、
ビズアップは代表である私の
自宅からスタートしました。
起業の直接のきっかけは
妻の妊娠です。
独立前の、
その年の4月1日に結婚。
エイプリルフールだったので
実は結婚してないことに
なっているのではないかと
いまだに少し不安です(笑)。
そんな結婚直後、
5月に妻が妊娠したことが判明。
当時の私は独立することについて
1ヶ月間もんもんと悩みました。
「やっていけるんだろうか」
「失敗したらどうしよう」
「でもここで起業しなければ
 一生しない気がする」
などなど。
そして最終的に
「これは生まれてくる子が
 期限付きでチャレンジする
 チャンスをくれたのではないか?」
という「悟り(超曲解)」を得ます。
妻に、
「子どもが生まれてもメシが食えなかったら
 会社員に戻るのでチャレンジさせてください」
とお願いし、
6月に会社に辞表を提出。
そこから会社を辞められたのは
2ヶ月半後の8月の第2週でした。
しかも円満退社を望んでいたので
8月の2週間は部下の教育という名目でタダ働き。
実はビズアップは準備期間としては
1ヶ月しかありませんでした。
タダ働きの2週間は
なるべく早く仕事をあがらせてもらい、
8月の1ヶ月でホームページやら
なにやらつくったのです。
人間、本気になれば
1ヶ月でなんとでもできるんだなと
今でも思います。
その後、出会った名言、
「武器は走りながら拾うもの」
を人から聞いた時に、
当時の自分もそうだったことを思い、
これでよかったんだ、むしろ
これしかなかったんだ、と思いました。
当時の私は、
中田英寿には遠く及びませんが
少しだけかっこよかったかもしれません。
それくらい覚悟を決めて突き進んでいました。
ビズアップはロゴの受注は
実は起業当初から比較的順調でした。
しかし、
契約してくれるデザイナー、
つまり仲間になってくれる人が
はじめはなかなか集まりませんでした。
「今日の夕方5時にお客さまから
 修正指示が入るから待機していてね」
と朝伝えたのに、
夕方5時に電話したら
「もう外で呑んでいるので今日は無理」
というデザイナーとか、
パソコンがウィルスに
やられていたのかなんなのか、
同じメールが
20通くらい送られてくるデザイナーとか、
大手広告代理店でアートディレクターを
やっていたという実績の持ち主なのに、
上がってきたロゴデザインが
四角の中に「?」が描いてあるだけで、
ロゴと呼ぶのもはばかられる、
とてもお客さまに提出できないものを
提出してきて、
「これじゃ提出できません」
と伝えると、
「でもお金はもらえるんですよね?」
とか言ってくる自称デザイナーとか。
今思うと珍獣博物館のようでした。
このままではまずいと思い、
神頼み的にダメ元でなりふり構わず
利用したのが、当時流行していた
★ミクシィ
でした。
SNSですから、
下手な書き方でデザイナーを募集したら
槍玉に挙げられるのではないか、という
不安があったことは確かでした。
しかし、
前述のようになりふり構っている
場合ではありませんでした。
その結果。。。
槍玉に挙がる心配どころか、
かけがえのない人たちが
集まってくれました。
そこで集まってくれた人は、
後のスタッフになる人や、
今でも
ビズアップの仕事を請けてくれている、
そんな人たちでした。
まさに、
走りながら武器を拾った瞬間でした。
そうこうしているうちに5ヶ月たち、
長男が3920gという巨大児として
この世に出てまいりました。
その時には
なんとか自分と家族の食い扶持くらいは
稼げるようになっていたので、
「ダメなら会社員に戻る」
という契約は履行されず、
ビズアップをつづけることができました。
●
次のステップとしては
「人を採用すること」だと考えていました。
当時読んでいた本に感銘を受けたのですが、
その本には「赤字でも人に任せろ」といった
趣旨のことが書いてありました。
人を入れようと思った時に
まっさきに顔が浮かんだ人間が
契約のデザイナーの中にいました。
当時の自分は冴えていて、
「必要なタイミングで必要な人が現れる」
が
それまでの人生経験からの持論としてあったため、
自分から声をかけることをあえてしませんでした。
ビズアップをはじめて初の年末、
少ないながらもデザイナーを集め、
居酒屋でささやかな忘年会をやったとき、
なんと、その人間のほうから、
「ビズアップで雇ってほしい」と
言ってきてくれたのです。
私はそれを聞いて、
すぐにお金を調達する準備をしました。
2ヶ月後、融資もおり
晴れてはじめての事務所を出します。
7畳程度のワンルームでした。
創業から半年経っていました。
この時、
まだ自分の食い扶持分しか
稼ぐことができていませんでした。
なので、
人を入れてお給料を出したら
自分の生活費が足りない、
という状況でした。
しかし不思議なもので、
スタッフがひとり入ると
きちんと売上がついてくるのです。
「そういうものだよ」と
先輩経営者には聞いていたのですが、
本当にそうなったのには驚きでした。
結婚し、子どもも生まれ、
独立して事務所を構え、
社員が入社し。。。
自分は幸せ者だと感じ、
毎日の大きな充実感をこのときは
得ることができていたと思います。
その後も、
同士と呼べるほどの仲間が
契約デザイナーとして数名現れ、
ワンルームの事務所は半年で引き払い
少し広い物件に「合同事務所」をつくりました。
仲間が増えて成長していく実感を得、
ちょうど1年経ったこともあり
個人事業主から法人化するなど、
当時は今思い返すと
怖いものなしだったように思います。
もちろん、
細かいピンチはたくさんありました。
でも、思い返すと概ね順調に
仲間も仕事も増えていたと思います。
●
ただ、当時の私は
いまだ発展途上にある今の私から見ても
怖いくらい傍若無人なところがあり、
仲間が増えれば
それだけ問題も増えるような状況が
訪れるようになってきました。
なにせ、
ひどいこともスタッフに
たくさん言っていたと思います。
「うちはベンチャーなんだ!
 そんな仕事ぶりじゃうちの会社は死んじまうぞ!」
「凡人はいらねーんだよ!ベンチャーなんだぞ!」
「なんでやらねーんだよ。考えなくていいからやれよ」
「考えてやらねーから失敗すんだよ!よく考えろ!」
「責任感なさすぎるだろ!」
とか(ほんとすいませんでした)。
そもそも褒めることが
私はいまだに苦手です。
そして、
「褒められないと仕事ができないようでは本物ではない。
 褒めてくれる人がいなくなったらどうするんだ?」
という
親から譲り受けた「星一徹的価値観」で
メンバーのみんなと接していました。
目標達成した後も褒めるどころか、
「勝って兜の緒を締めよ」
とか言っちゃってましたし
(母親によく言われていた)。
ただこれは
親からそういう教育を受けたからだけが
原因ではありません。
当時の自分はスタッフを
鼓舞していると思っていたのですが、
こういった強い言葉で仲間に接するのは、
たいていその時の自分に不安感がある状況だったと
今思い返すとわかります。
不安を、怒りを用いて打ち消そうとした時の
そのターゲットがスタッフだったのです。
スタッフは
「足りない」とか「できていない」とか
そんな言葉ばかり言われているようなもので、
おまけに、
・怒り ≒ 正義
の図式でスタッフを怒りますから
(正義ほど正義でないものはないですね)、
スタッフ側は
「自分が悪い、津久井さんが正しい」
「だけどどうしたら良いかわからない」
と感じていたことと思います。
そうした状況、心理の行き着く先は
結局は「辞める」となります。
しかも辞める前には必ずと言っていいほど、
「仕事のパフォーマンスが極端に落ちる」
ということがあり、
そこでまた
スタッフの足りていないパフォーマンスに対する
「正義という名を借りた怒りの皮を被った不安」
という
ネガティブ三層構造による言葉のひとつひとつが、
吸引力が落ちないただひとつの掃除機以上の
負のサイクロンを巻き起こし、
辞める以外に脱出方法のないブラックホールに
仲間をいざなってしまうのです。
そんな状況ですから
辞め方も決して良い形ではありませんでした。
今思い返すと。。。
あ〜、謝りたい〜。
当時の人たちに謝りたい〜〜。
そして、
5年前に大きなできごとが起こります。
営業担当の人間が私と大げんかとなり
そのまま会社を出て行って辞めてしまいました。
さらにその後、
ロゴのご依頼数がふるわず減っていく不安がある中、
当時のNo2とNo3がそろって辞めてしまいます。
多い時には8人、9人いたスタッフが
私を入れて半分の4人になってしまったのです。
このころ、人前では一切泣かない私は
自分を奮いたたせる音楽をかけ、
誰も見ていないところで泣きながら
夜中や土日に仕事をしていました。
●
しかし、
完全に孤独だったわけではありません。
残ってくれた3名の仲間が
一緒に奮起してくれたのです。
彼らがいたから
「まだやれる!」と自分を
奮いたたせることができました。
もちろん、
その後すぐに状況が
改善したわけではありません。
受注数が減っている状況でしたので、
ディレクターでただひとり残ってくれた
板橋(その後のNo2)が
「僕ひとりでロゴを回します!」
と言ってくれ、
ものすごく頼もしかったのですが、
そのタイミングで
ホームページをリニューアルしたせいか、
ロゴの依頼数が突然爆発。
会社のために夜中まで無理をしてくれた板橋は
お客さまとの電話中に顔面が痙攣し、
両手が麻痺するという事態に見まわれました。
タクシーで脳神経外科に行き、
板橋を置いて先に事務所に戻るさなか、
いろいろなことが頭をめぐりました。
会社のこと、
お客さまのこと、
家族のこと、
そして何より板橋の体のこと。
また泣きそうになりながら事務所に戻ると、
一通のメールが来ていました。
募集をかけていないディレクターの
採用の申し込みでした。
そのメールを見ると
デザイナーとしてもディレクターとしても
実績が十分にある上、
ビズアップのサイトを隅から隅まで見て
津久井の考えにも共感をしてくれた上で
「入れてほしい」という、
まるで
ラブレターのようなメールがだったのです。
「必要なタイミングで必要な人が現れる」
これだ、と思い、
すぐに入社をお願いしました。
「こういうことってあるんだな、やっぱり」
とものすごく感じました。
そのディレクターが
入社して1週間後のことです。
仕事中にそのディレクター宛に
病院から電話が来ました。
そのディレクターの奥さんが
自転車に乗っている時に車にはねられ、
安否不明という連絡でした。。。
その社員はすぐに病院に向かいました。
状況が状況だけにこちらから連絡を
入れるわけにもいかず、
ただひたすら
彼からの連絡を待っていました。
その日の夜遅く、
なんとか命に別条はないという
連絡がやっと来てホッとしました。
しかし、奥さんは
全身打撲、両手両足腰骨複雑骨折で
半年間の入院を余儀なくされました。
そのスタッフの家は
会社から1時間半かかるところにある上、
5歳の子どもがいることから、
「このまま仕事はつづけられない」
と連絡が来たのは
事故の数日後のことでした。
そして、
入社そのものをなかったことにし
そのディレクターは去って行きました。
その後、
人を入れることに正直怖さを
感じることもありました。
お金をかけて募集広告を打ち、
来てもらっても即戦力にはならないとなると、
仕事が減っている中利益はどうなるのか、など。
でも、
この時の不安は、以前とは違って
怒りに転嫁することはありませんでした。
そのあたりからでしょうか。
自分自身が少しずつ変わってきたのは。
そしてやっぱり
「必要なタイミングで必要な人が現れる」。
今はそんな人たちに
支えられて会社をやっている実感があります。
他人と過去は変えられない。
変えられるのは自分と未来だけ。
残念ながら
No2の板橋は昨年の今時期に
退社してしまいましたが
今でも付き合いはつづいており、
今では
おかげさまでスタッフは
20名くらいになりました。
傍若無人だったころに比べ
怒るということがほとんどなくなりました。
でも不安からメンバーのみんなに
何かしらのプレッシャーをかけて
しまっていると感じることはまだまだあり、
「本当にまだまだかっこわりーな」
思うと同時に
「会社は社長の器次第」だというのは
本当なんだなと実感するようになりました。
私はこの11年間で
「すごい良かったことは??」
と聞かれるとあまりありません。
起業時の毎日の充実感くらいでしょうか。
かつて
No2とNo3が一度に辞めたときは、
その前後にいろいろな問題がありました
(書いていないこともあります)。
そういう意味では問題や悪いことは
いっぺんに起こることがあります。
たぶん、ほとんどそうです。
それに対して、
良いことはちょっとずつしか起こらない、
小さな変化しか生まないのかなと思います。
まるで、
幼虫がさなぎになり、
さなぎから蝶になるように、
ずっと見ていても
変化しているのかわからない、
でも気がついたら空を飛んでいる、
そんなのが
本当の「良いこと」の気がします。
それと、
やっぱり人は偉大だな、と感じます。
良い意味でも悪い意味でも
「影響力がでかい」ということにおいて。
「この11年間で良かったこと」
は、
ありがたいことに人には恵まれている。
日々成長しているメンバーがいる。
もちろん、
会社ですから大なり小なり問題はあります。
不安を感じることもまだまだあります。
でも、
それが成長につながるんですよね。
5年前に怒ることをやめてから、
おかげさまで年商は2.5倍になりました。
まだまだ空を飛ぶには至ってませんが、
少しずつ積み重ねてきたものが
やっぱりあるんだな、
これが「良いこと」の
正体なんだな、きっと。
そしてそれは「人」を通して
実感するんだな。
さて。。。
最後は相田みつを風になってしました。
もっともっと語りたいこともあり、
いつか絶対に小説にしてやろうと
思っているのですが、
ひとまず本日はここまでに
しておこうと思います。
そして、
12年目を迎えるビズアップを
どうぞよろしくお願いいたします。
今回はここまでです!
津久井
好評いただいてます。
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投稿者プロフィール

津久井 将信
津久井 将信
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。

かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。

2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。

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