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2017年10月13日 メールマガジン 所感 本の紹介 経営 【第401回】飲食店と立地のストーリー(僕たちの失敗)

2017年12月15日掲載開始

こんにちは。
ロゴ作成専門ビズアップ 津久井です!
https://www.biz-up.biz
昨日は特別な日となりました。
このメルマガでも
何度もお伝えしているとおり、
私はサッカーが大好きです。
今でもチームに所属しているほか、
子どものサッカーチームの
コーチもしています。
そして、
経営者蹴球会という
フットサル会にも参加しています。
※経営者蹴球会に
参加されたいという場合は
ぜひご連絡ください!!
以前もメルマガでお伝えしましたが、
私はドーハの悲劇やジョホールバルの歓喜の
ドンズバの世代です。
※ドーハの悲劇
日本代表がワールドカップ予選最終試合で
ロスタイムにイラクに同点ゴールを決められ
史上初のワールドカップ出場を逃した
サッカーファンにとっての一大事件。
※ジョホールバルの歓喜
その4年後、日本がはじめて
ワールドカップ出場を勝ち取った、
こちらもサッカーファンに語り継がれる伝説。
延長でゴールデンゴールを決めた。
ドーハの悲劇で悔し泣きし、
ジョホールバルの歓喜でうれし泣き。
そんなサッカーファンは多いと思います。
昨日は、
そのワールドカップ初出場のときの
サッカー日本代表選手だった
ジョホールバルの歓喜の中心メンバー、
名良橋晃さんと
食事をする機会をいただきました。
初出場のフランスワールドカップで
右サイドバックとして活躍し、
Jリーグ鹿島アントラーズでも
優勝を何度も経験されている、
私たち世代のサッカーファンなら
知らない人はいないというほどの
名プレイヤーだった方です。
今でも
テレビでサッカーのコメンテータなどで
活躍されています。
そんな名良橋さんと、
やはり元Jリーガーの武市さんと
経営者仲間4人とお食事。
シュラスコのお店に行きました。
現役時代のアレコレや
日本代表のアレコレなどなど、
ただのサッカーファンでは
一生かかっても聞けないような話を
お聞きすることができました。
ジョホールバルの歓喜で
ワールドカップ初出場を決めた試合後、
歓喜のあまりバカ騒ぎして
呑み明かしたのかと思いきや、
代表選手はみんな淡々と
自分の部屋に帰って休んだそうですよ。
「あのときはプレッシャーもすごく、
 とにかく疲れた。早く日本に帰りたかった」
とおっしゃってました。
今度、
経営者蹴球会にももしかしたら
来ていただけるかもしれません。
日本の代表として
世界と戦ってきた人の話は
やはり興奮します。
でも、
それは何もサッカーやスポーツでしか
できないことではないですね。
むしろビジネスのほうが
日本の代表として世界と戦う
チャンスは多いかもしれません。
シュラスコの店で
お肉をたくさん食べたのもあり、
また今日からがんばっていこうと
心に決めた日となりました。
さて、
本日のお話です。
以前、
私の両親の話をメルマガで
させていただいた回があります。
父親が経営者として
どんな人生を歩んできたのか、
会社経営でどんな事件が起こったか、
などを
神田昌典さんの名著「成功者の告白」
になぞらえてお話させていただいた
このメルマガ定番の人気の回です。
そこでチラッとだけ触れたのですが、
実は父親は会社をやりながら
飲食店に手を出し失敗したことがあります。
本日は、
そのときの失敗談やなぜ失敗したか、
などのお話を軽くストーリー仕立てで
お届けしてみたいなと思います。
●
私が大学2年生のときでした。
当時は勤労意欲というものが
ほとんどない私でしたが、
週に2日だけはお寿司屋さんで
アルバイトをしていました。
夏休み前のできごとです。
父親から連絡が来ました。
「いよいよ店をオープンする。
 夏休みの間、お前も手伝ってくれ」
店をはじめることは
以前から聞いていましたが
バイトがあるからムリと告げると、
過去にあれだけ
「すぐに仕事を辞めるヤツはダメだ!
 気合が足りねー!!」
とかなんとかよく言っていた父親が
そのときに限って
「薄情者!バイトなんてすぐ辞められるだろ!」
と言ってきました(笑)。
ちょっと頭が混乱しましたが、
そのときのお寿司屋さんも
とても良くしてくれた板長さんが
クビになりかけたり、
収益がでていなかったその店を
チ◯ピラみたいな人が買収する、
なんていうウワサもあったので、
たしかに潮時だとも思い、
アルバイトを辞めて父親の飲食店を
夏休みの間だけ手伝うことにしました。
父親は出店の3ヶ月前に、
休みの日だけある店に修行に
言っていました。
その店は、
「ゼリーフライ」という
ナゾのネーミングを持った、
父親の出身である
埼玉県行田市のソウルフードの
お店でした。
貧乏だった子どものころから
ゼリーフライを食べて育った父親は
その味をずっと覚えていました。
そして、
「これは売れる!!」
と父親なりにずっと心の中で
想いつづけていたようなのです。
ゼリーフライは
おからとじゃがいも、ちょっとした野菜を
素揚げしたコロッケのようなもので、
ソースをつけて食べます。
私も子どものころ、
父親の実家に行くとよく食べてました。
材料のほとんどがおからで、
豆腐屋さんからいらなくなったおからを
安く分けてもらうため、
原価はものすごく低いです。
豆腐屋さんからしたら
廃棄コストがかからなくなります。
3ヶ月間、
母親と一緒に休みの日に
行田市に帰り修行をした父親は、
意気揚々と物件探しをはじめます。
本業が車を使う仕事でしたので、
いろいろな場所を見て回っていました。
そして、
父親いわく「確実にはやる!!」
という物件を探し当てました。
物件は小さく古いですが、
賃料も手ごろでしたし、
何よりその物件は駐車場付きで、
目の前は朝晩と車が渋滞する
交通量の多い通りが走っていました。
父親の中では
出勤前の朝ごはんとして、
また帰り道の小腹満たしに、
こんなニーズにうってつけの
商品(しかも原価が安い)と物件を
手に入れたと思ったようでした。
つまり、
彼なりに「勝ちパターン」だと
思ったようなのです。
しかし、
物事はそう計算通りにうまくいきません。
まず、
ゼリーフライは名前がいまいちということで
母親の発案で「サラダフライ」という
名前で販売することにしました。
そして、
サラダフライだけでは厳しいだろうと、
ホットドッグも売ることにしました。
イートインスペース5席程度と
お持ち帰り用のカウンターのある
こじんまりとしたかわいらしい店。
内装が終わった店で
サラダフライの試作をつくりはじめてみると、
修行に行った先と同じ機械をいれているのに、
同じ味がなかなか再現できませんでした。
大きさも小判型で
コロッケ程度あるゼリーフライに対し、
サラダフライはチキンナゲット程度にしないと
うまく揚がってくれませんでした。
ソースはゼリーフライが秘伝のものに対し、
さすがにそれを分けてもらうわけにはいかず、
サラダフライは市販のソースで食べることに
なってしまい、
最終的には
「ソースより塩コショウのほうがうまくね?」
ということで味付けも変わり、
サラダフライはゼリーフライとは
まったく別の食べ物になってしまったのです。
それでもなんとか両親は
「オレンジハウス」という名前で
その店のオープンにこぎつけました。
父親は朝は本業の会社に行き、
朝礼だけ済ましてすぐに店にきました。
母親は本業の会社には出社せず、
自分の持っているお客さまも
他の従業員に引き継いで、
オレンジハウスに専念しました。
親子3人でオレンジハウスを開始。
はじめは近隣住民の方も
「お?なんかできたぞ??」
ということで来店してくれましたが、
店はすぐに閑古鳥が鳴きはじめます。
まず、
父親があれだけ長年恋い焦がれ想いつづけた
ゼリーフライ改めサラダフライは
見事に売れませんでした。。。
それはもう、
ゼリーフライの名誉すら傷つけるほどに。。。
近くにテニスコートがあった関係で、
ジュースを買いに来るお客さまは
比較的いたのですが、
そういったお客さまに
サラダフライの試食を進めても
「ふーん」
といった程度のリアクションしか
もらうことはできませんでした。
ホットドッグは
「すごく美味しかったから」
とリピートしてくれる人もいて
そこそこ評判が良かったのですが、
母親が妙なこだわりを見せて、
高いパンを仕入れていたため、
売価を高くせざるを得ないわりには小さくて、
男性客からしたら物足りない食べ物に
なってしまっていたのでした。
塩コショウで食べるほうがメインとなった、
ナゾの進化を遂げた「サラダフライ」は
ビールに合うぞという話になり、
父親は生ビールサーバーを店に導入、
お酒を売ることを決めました。
しかし、
こんなツギハギ的な戦略がうまくいくわけはなく、
ビールは思ったように売れませんでした。
結局、
「ダメにしちゃうのもったいないから」
ということで、
タンクに残って3日目くらいの生ビールは
閉店後の店で夕飯として出た売れ残りの
ホットドッグとサラダフライとともに、
すべて私たち親子3人のお腹の中に
見事に吸収されていくことと
なってしまったのです。
何より一番の大誤算は、
物件のポテンシャルを見誤ったことでした。
まず、
父親が「朝夕に渋滞する」といった
目の前の道路は大した渋滞もなく、
交通量こそ多いものの
みなさんスムーズに店の前を
通過されていきます。
渋滞までは行きませんが、
たまに信号待ちの車が列をなすことがあり、
そのときには私が
揚げたてのサラダフライを持って
車に駆け寄り試食を勧めたりもしましたが、
なにせ
こんな感じの青年だったので怪しさ満点。
→ http://bit.ly/2yHKqDc
信号待ちしてたら
勝手にフロントガラスを磨きだして
お金を請求するような
発展途上国の子どものように、
「食べたらお金を請求されるんじゃないか」
という不安を
みなさんに与えていたかもしれません。。。
父親の中では
店が繁盛するだろうから3人は
店員が必要だと思っていたようですが、
私が大学の夏休みが終わって
ひとり暮らしをしていた横浜に
そろそろ帰らなければならないというときには、
店員は母親ひとりで十分という
泣きたくなるような状況になっていました。
結局、
私もバイト代を2ヶ月で1万円しか受け取らず、
店は私が夏休み明けで横浜に戻ってから
1ヶ月程度で閉店することとあいなりました。
そのころ本業の会社では
事務所にほとんど現れない父親と母親に
社員の不満が集中、
店を辞めた後に
両親は社員から吊るし上げられるという
弱り目にたたり目のような事件も起こりました。
●
私は抜け殻になった両親を見て、
ちょっとだけリアルに、
「この人たち自殺とかしないよな」
と心配になりました。
こんなできごとが
私の商売観みたいなものに
大きく影響しています。
中でも一番ショックだったのは、
そもそもお客さまが来ないことでした。
「おいしいから」と
何度か通ってくれる人がいることを考えると、
味が原因ではないと思ってはいました。
やはり立地の問題が一番大きかった。
「良いものさえつくれば売れる」
という考え方は
本当に間違っていると思います。
このできごとから、
私は大学の卒論のテーマを
「小規模飲食店の立地に関する一考察」
としたくらいです。
ゼミの同期たちが図書館に行って
よくわからないけどテーマに合いそうな
文献を漁ってツギハギだらけの卒論をつくる中、
私はひとり実地調査をしたくらいです。
大学の最寄り駅の商店街にいって、
居酒屋さんや中華料理屋さんなどに
「なんでここに店を出したんですか?」
と聞いて回ったのです。
中には
「スパイじゃないか?」
と疑う店主さんもいて、
大学の学生証を見せながら
インタビューしてまわりました。
その中のひとつのお店の店長さんは、
競合が多い商店街でなぜ店をはじめたかについて、
「競合が多いからここに出したんだよ」
と教えてくれました。
たくさん店があるということは
人がそもそもそこに集まりやすい、
だから
そういった人たちの中でも
行く店がまだ決まっていない人の
選択肢の中に入ることが重要なんだと。
こうやって自分で調べて
気づいたりわかったりしたことは
一生忘れることはありませんね。
気合を入れて書いた卒論でしたが、
前号のメルマガでもお伝えしたとおり
ゼミの教授にやたらと気に入られていたことで、
「うーん、お前のは読まなくても大丈夫だろ」
というナゾのお墨付きをいただき
その評価のフィードバックをもらうことは
その後ありませんでした。悲しい結末。
さて、
私がサラリーマン時代、
「独立したい!」
と心から思ったときに、
今すぐできることは何かと考え
実践したのが「ビジネス書を読む」でした。
小説とマンガしか読まなかった私にとって
ビジネス書を読むというのは革命的でした。
しかし、
どんな種類のビジネス書を
読めばいいかがわからない。
本屋さんの書棚をみていたときに
1冊の本が目に飛び込んできました。
人が集まる、だから儲かる
これが「繁盛立地」だ!!
林原安徳 著
→ http://amzn.to/2wTaxSZ
これしかないと思いました。
私のビジネス書デビューに
ふさわしい1冊。
即購入した私は、
本を読んで愕然としました。
なぜなら、
本には「オレンジハウス」と
同じような条件の立地には
「出店してはいけない!」
と書いてあったのです。
そうです。
オレンジハウスは飲食店の立地として
ふさわしくなかったのです。
まず、
オレンジハウスの目の前の道路は
大きくカーブしていました。
カーブの内側に駐車場を挟んで
オレンジハウスがありました。
これは、
ロードサイドの出店条件として
避けるべき条件だったのです。
なぜなら、
カーブの内側では、
ドライバーからして物件を
認識しづらいからです。
そして
交通量がそこそこ多いわりには
車が流れていましたから、
反対車線の車はこちら側に入りづらい。
ナゾの揚げ物、
食べ足りないホットドッグ、
ロードサイドでの生ビール、
認識しづらく入りづらい店舗、
勝ちパターンどころか
負けるための条件のほうが
よっぽど多く揃っていたわけです。
●
人によっては飲食店は立地が8割といいます。
ドトールコーヒーやマクドナルドは
飲食店ではなく「不動産業だ」と言われるほど。
洋麺屋五右衛門を運営する
日本レストランシステムの代表は、
飲食業態の寿命はどんどん短くなっている、
だからこそ立地はより重要で、
良い立地の店舗さえ抑えれば、
数年おきで業態チェンジできる、
と以前出演したテレビで言っていました。
私も素人ながら
飲食店は立地が最重要だと思います。
それでも
へんぴな場所でうまくいっている
飲食店があるのはなぜでしょうか。
その答えは、
おそらく「ブランディング」です。
ブランディングは「選ばれるための試作」。
「へんぴな場所でも
 選ばれるとしたらどうしたら良いか?」
ということを
きちんと考えられた店が
うまくいくのだと思います。
間違っても
「美味しいものさえつくればいい」
わけではありません。
「美味しいものさえ・・・」は
ある意味、思考停止状態です。
場所が悪くても
選ばれ、記憶に残り、再来店してもらう、
そのための試作(ブランディング)として
どんなことをすればよいのか。
もし私が今から
へんぴな場所でしか飲食店をはじめられない、
という条件付きで飲食店をはじめるとしたら、
私であれば実地調査をします。
へんぴな場所なのにうまくいっている店、
へんぴな場所でやはりうまくいかなかった店、
そういった店が
何をしたのか(しなかったのか)、
何を売っていたのか、
どんな表現を使っていたのか、
こんなことを調べると思います。
そういったエリアでも選ばれる方法はないのか。
そんなことを実地調査をしながら考えるわけです。
それでも、
つまりブランディングで立地の悪さを
カバーする方法があるとしても、
飲食店をうまくいかせる要因の多くは
立地にかかっていると私は思います。
だから、
へんぴな場所は実地調査の結果、
「やらない」という判断も十分にあります。
もしこれから
なんらかの店を出店する計画がある場合は、
ぜひ立地の検討のウェイトを重くしてほしいです。
私の先輩経営者で、
店舗の出店立地専門の調査を
している方がいますので、
必要でしたらいつでもおつなぎできます。
さて、
ホットドッグとサラダフライで
大きな挫折を味わったはずの両親ですが、
なぜかその後の人生で
もう一度だけ飲食店を開始します。
今度はどんな立地だったのか。
それは、
ベトナムはハノイの日本大使館前。。。
30年間つづけた本業の会社を売却した後、
もう一旗揚げたいと両親はベトナムに移住。
やはり飲食店に対する
リベンジの気持ちもあったのでしょう。
ハノイで
日本料理店(居酒屋)をはじめます。
今度は儲かったみたいです。
でも体の調子が悪くなってしまい、
1年半で店を売却して帰国。
寄る年波には勝てなかった。
せつない話ではありますが。。。
なお、
不思議な話ですが、
弊社のロゴディレクター林は、
ビズアップに入る前に勤めていた会社のときに
ハノイに出張に行き、偶然にも両親の店に
食事に行ったそうです。すごい縁。。。
「サラダフライ」は
出てこなかったようですが(笑)
今回はここまでです!
津久井
好評いただいてます。
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投稿者プロフィール

津久井 将信
津久井 将信
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。

かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。

2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。

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