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2020年04月03日 メールマガジン 所感 【第521回】求められた自分のまま演りきり死んでいく覚悟

こんにちは。

ロゴ作成専門ビズアップ 津久井です!
https://www.biz-up.biz


志村けんさんがお亡くなりになってしまいました。

本当にショックです。

月曜日の朝、朝礼が終わり各々の先に戻ったスタッフのうちのひとりがボソッと、その訃報を伝えました。

社内には悲痛な声があがりました。

あれほど国民に愛されたコメディアンがいたでしょうか。誰もがあの笑いを通ってきたといっても過言ではない。

我が家では親子孫3代に渡って彼から笑うということとその貴重な時間をもらえたと思っています。

特にバラエティ番組などを

「くだらない」

と一蹴していた私の父親が、ドリフターズや志村けんの笑いにだけは反応して私との時間を共有してくれたこと、この意味は私にとってはとても大きなものでした。

今日はデザインやブランディングとはほとんど関係ない話となります。

「死生観」

みたいなものを考えてみたいと思います。

実はこのメルマガではそういったテーマで過去に数回お話をさせていただいたことがあります。

・祖母の死
・友人の自殺

ビズアップをはじめてからですが、こういった出来事が私にも訪れたからです。

 


そもそも人間というのは大切なものをそのものからは感じられないという性質を持っています。

命の大切さは、誰かの死や新型のウィルスを通さないと自覚できないという皮肉めいた一面を持っています。東日本大震災のときには命の大切さと絆の尊さを体感しました。

そのあたりは祖母の死を描いた こちら のメルマガをお読みいただくのが良いかなと思います。

しかしながらこれらの「命の大切さ」を感じるかどうかは、ある前提を必要とします。

それは「死にたくない(という感情)」です。

かんたんに言えば、死にたくない人間が死を感じたときに命の大切さを知るということです。死にたい人間にとっては命は邪魔くさいものですらあるかもしれません。

私は友人が2名自殺しています。風のうわさで聞いた小学生の時の同級生を含めると4人、先日聞いた話で最近お会いしていなかった先輩経営者が会社を乗っ取られ自殺し、これでまわりに5人の自殺者がいることとなりました。まさか自分の人生においてこれほどまでみのまわりに自殺者が出るとは思いませんでした。

自殺してしまった仲の良かった友人2名のうち1名は、自殺までの数日間深く関わっていました。そのあたりをまとめたメルマガが こちら になります。

そのメルマガの中にありますが、「死」には3種類あると考えています。

・志半ばで人生を終えなければならなかった死
・人生を生き切ったまっとうな死
・生きることに何も期待できずに自ら幕を閉じた死

当然まん中の死がもっとも望ましいと思います。最初の死はもっとも悔いが残る死ですね。この死に方はしたくないなぁ。。。

価値観が分かれるところが最後の死に方なのでしょう。自殺した友人のケースです。

実は私は、先日の健康診断の結果があまりよくありませんでした。不整脈と血便の結果が出まして、再検査しなければなりません。また私は小学1年生のときに重度の肺炎で死にかけていますので、特効薬ができる前に今回の新型コロナウィルスに罹ってしまうとどうなるかわかりません。

それほど死に直面している感は自分自身はなかったのですが、なにせそれを知った父親にめちゃめちゃ怒られました。「体を何だと思ってんだ!」「小さい子供3人もいてなんかあったらどうするつもりだ!」とか。。。友人数名の死や自殺を通して命の大切さを実感した「つもり」でいましたが、全然でした。

かたや、当の父親や母親は「別にもういつ死んでもいい」と言ってみたりします。つまり、死に対する価値観は人によって違うということです。当たり前っちゃ当たり前ですが。

 


そして最近気づいたことが、死に対する価値観というのはその人その人違うというだけでなく、自分の年齢によっても変わってくるものだということです。

先ほどの父親や母親の話と同じで、よくお年寄りなんかは

「もうじゅうぶん生きた、いつ死んでもいい」

的なことをおっしゃる人が多いように感じます。

これもあたりまえですが年齢によって死に対する価値観が変わったことを表していますね。

つまり、自分の人生を振り返り、その時々での死とその死に対する価値観を整理すると、難しいテーマである「死生観」みたいなものが見えてくるのではないかなと考えました。

たとえば私の例で恐縮ですが、

【0〜5歳】
死ぬということがどういうことか認識できていない。

【5〜10歳】
7歳で祖父が亡くなるが死ぬことがどういうことかまでは考えが及ばず。また同じく7歳で幼馴染が白血病で亡くなる。自身も7歳で重度の肺炎で死にかけるが死ぬ自覚なし。10歳ぐらいでなんとなく認識しはじめるか。

【11〜15歳】
死にたくないし、まわりの人に死んでほしくないという感情が確立しはじめる。13歳で急性腸炎になり40度以上の熱が3日出る。病院の検査に使用した機械に「がん検診用」というシールが貼ってあり、自分は死ぬのかもという恐怖をはじめて感じる。

【16〜20歳】
18歳のときに祖母が亡くなる。天寿を全うした、とギリギリ言えるだろうか。決して悔やまれる死に方ではなかった。

【21〜25歳】
祖父が亡くなる。もっとも世話になった母方の祖父。会社の夏休みを利用して見舞いに行った2週間後だった。見舞いに行ったときに、私の手からパックの牛乳を弱々しく吸いながら言った祖父の言葉「この世は諦めた」が忘れられない。何かやり残しや後悔があったのだろうか。ただただ悲しかったが、死に対して深く考えることはなかった。なぜ死ぬのか、死にたくないのか、なぜ生きるのか、なぜ死ぬと悲しいのか。

【25〜30歳】
クライアントが突然死。仕事の電話をかけたら、その会社の別の人が教えてくれた。その担当さんは50代半ば。その会社には入ったばかりで、前の会社は羽振りがよく用もないのに出張しては会社の金を使って遊びまくれていい会社だった、それに比べてこの会社(クライアント)は・・・と、正直共感できない話を散々聞かされていた。そんな人が突然死んで、さんざん楽しい思いはしたのかもしれないけどこんなところで突然死ぬの?と儚さを感じる。このあたりから「人間って何なんだろう」的なことを少し考えはじめる。死に対する価値観が変容しはじめたかもしれない。

【31〜35歳】
起業して1年もしないところで、中学生時代の同級生の訃報を知る。頭もよくJR東日本でSuicaの開発に携わっていた。酔っ払って駅で電車にはねられたよう。自殺だったかもという話もある。お通夜のときのお母さんの抜け殻感がすごかったことを覚えている。父方の祖母が亡くなる(メルマガ第50号)また、東日本大震災が起こる。多くの人の死が数字でカウントされたときに、死の重さや感情が鈍くなる感覚を感じる。ただし、自分に襲いかかる死の恐怖は強く感じてしまう。原発事故により自分と自分の家族の命の危険を強く感じる。片時もパソコンを離さずに情報収集をしていた。最終的にヨメの実家に避難した。

【36〜40歳】
2012年(36歳)は身近な人間が4人なくなる。バンド時代に世話になった人は37歳で仕事中に突然死。先ほどのメルマガの友人の自殺もこの年。このとき「生きていてほしい」は実は人によってはエゴの押し付け以外の何物でもないということを感じる。「使命感」こそが生きる上でもしかしたらもっとも重要かもしれないと考える(詳しくはメルマガ165号をお読みください)。

【41〜43歳】
新型コロナウィルスにより、世界の人々が「死」を自分ごととして捉えはじめる。志村けんが亡くなる。

こんな感じでしょうか。

今現在の私自身の「死」については以下のように感じています。

・まだ死にたいとは当然思わない。
・なぜならやりたいことがまだまだあり、一緒に過ごしたい人がいるから。
・では、やりたいことがなく、過ごしたい人がいなければ死んでもいいのか。 → 不明
・死ぬのは怖いか。 → たぶん怖い

3番目が不明なんですよね。しかも最後なんて、昔なら「怖い!」だったはずなのにちょっとあやふやになってきている。。。(汗)この「不明」とか「たぶん怖い」とかが年齢を経ていくとより明確になっていく、きちんと答えられるようになっていくのかもしれません。

これ、結構おすすめです。自分に訪れた「死」とそのときの感情の整理。

ちなみにちょっと余談です。

最近You Tubeでビジネス本の要約をしている動画をよく見ます。その中の「サラタメ」さんという方が、「ホモデウス」という本の解説をしていました。あの衝撃の本「サピエンス全史」を書いたハラリ博士の本ですね。その本では、「データがすべてを支配して、人間はほどなくして神になるだろう、しかもそのデータを操る人間(=神)は一部だけで、残りの人間は家畜と同等になるだろう」とハラリ博士は主張(予測)しています。これ、一見恐ろしげに感じるかもしれませんが、私はまったく恐ろしくありませんでした。自分が神側に行くからということではありません。そうなったら「生」に執着する必要がないからです。

つまり、これ(家畜と同等に生きる)は生きつづけることを前提としたら辛いのですが、死んでしまえばどうってことないわけです。最近のコロナの騒動や志村けんさんの死で、自分の死に対する価値観がなぞのバージョンアップを遂げた感覚です。昔でしたら何を差し置いても「死にたくない」=「一部の人間以外は家畜なんてけしからん!」だったはずだったのに、死を受け入れる感覚がたとえ数ミリとはいえ自分の中に芽生えたのは不思議な感じでした。

 


ここまでは「自分の死」に対する価値観のお話でした。では人の死に対する価値観はどうなのでしょうか。

自分の身近な人の死というのを想像するのって、けっこうしんどくないですか?親、配偶者、子ども、孫、友人。。。なぜ辛いのでしょうか?

先ほどの年齢ごとに感じる死の印象や価値観を整理していると見えてくるのですが、幼少期のころは自分の死よりも身の周りの人の死のほうがリアルさを伴っていたかもしれません。どういうことかというと、「死なないでほしい!」という感情は、「死にたくない!」という感情よりも強かったように感じるのです。

これはもしかしたら「まだ自分は死なないだろう」という感覚があるからなのでしょうか。私なんかは小学生のころに両親の長生きをずっと祈っていたことがあるくらいです(私は無宗教ですけどね)。特に母親なんて「あたしゃ早死するタイプだ」とか自分で言っていて、子ども心にすごいショックでイヤだったなー。

志村けんさんが亡くなったことによるこの喪失感は一体何なんでしょう。自分が余命3ヶ月と言われるのと、大切な人が余命3ヶ月と言われるの、果たしてどちらが辛いのでしょうか?「もうすぐ失います」というのと突然失ってしまう、という違いもあるかもしれません。

自分の死がどちらかというと「怖い」という感覚であるのに対し、人の死は「悲しい」という感情であり、まずは単純に言葉が違いますね(なんか当たり前のことを言っていますが、ひとつずつ言語化してみるのは大切だと思います)。

私の友人にはAV男優がいるのですが(いきなり何の話だ)、その友人と大学生のころに麻雀をやっていたときのこと、バイク事故で友だちを2名亡くしたという友人に対しては「あとひとりでハットトリックたい(長崎弁)」と言ってみたり、私の地元の八百屋さんがバイクで事故ってしまい意識が戻らないという話をしたときには「八百屋だけに植物人間たい(長崎弁)」と言ったりして、麻雀をしている人間全員が凍りついたことがあります。

もちろん前提として「不謹慎だ」ということはあるのですが、なぜこういった話題は凍りついてしまうのか。ここで使う言葉は「悲しいから」ではなく「怖いから」のほうが当てはまります。悲しいから凍りつくのではなく怖いから凍りつく。タブー視という言葉もそうですが、悲しいからではなく怖いから、いうなれば自分にバチが当たってしまうかもしれないので、そういうことは言わないほうがいい、と考える。

この場合、死またはそれを連想させる言葉は「人の死」ではなく「自分の死」に向けられたものと捉えていると言えます。

なんだかとりとめもなくて恐縮ですが、「死」をイメージしたときに「自分の死」を連想するのか「人の死」を連想するのかには大きな違いがあり、それは死生観に影響を与えていそうな気がします。

「エンディングノート」というドキュメンタリー映画があります。監督は若い女性で、内容はその監督の実のお父さんが終活をはじめてから亡くなるまでをつぶさに記録したものになっています。これ、衝撃的な作品です。余命を宣告されつつも元気なうちから、本当に亡くなる直前までを記録しています。ぜひ見ていただくといいと思います。

そしてこの映画を見るとき、自分を主人公のお父さんに重ねるのか、そのお父さんの奥さん(お母さん)に重ねるのか。

どちらの見方もできると思います。どちらの見方もすることで、漠然とした「死」というものの輪郭をまた少し知ることができるのだと思います。

さて、本当にとりとめのないメルマガになってしまいましたが、やはり死を意識することは取りも直さず「どう生きるか」ということなのだと思います。私自身は志村けんのような生き方は憧れます。すごい実績があるからということもそうかもしれませんが、彼のこの言葉がとても響いたからです。

・子どもたちの「志村ってバカなんだよ!」という言葉は褒め言葉だね。だって本当にそう思わせることができているってことだから、演っている人間にとっては一番の褒め言葉だ(正確な言葉ではないかもしれません)。

バカだと思われたまま、求められた自分のまま演りきり死んでいく覚悟を持っている男を尊敬せずにいられません。ご冥福をお祈りします。


今回はここまでです!


津久井

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