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ワタクシゴトですが、今週は会食を1週間で2日しか入れませんでした。
太ってきちゃったんですよね。
なので、今まで平日のほとんど(4〜5日)に会食が入っていたところを、週に2日にしていこうと。そして平日は家でも呑まないと。そう決めて今週やっとそれを実行できました(汗)。
そうしたら体重も少し落ち、何よりアゴのラインがすごいスッキリしている。夜もこころなしか普段より眠れている気がします。
でもお酒が好きなんですよね。月曜日に会食があって、火水木とお酒をガマン。本日やっと呑めます(笑)。
お酒もいろいろ呑みますが、やはり焼酎がいちばん体にあっているというか、翌日の辛さが違う気がしています。なので極力「焼酎のソーダ割り」を呑むように心掛けています。
それにしても、私の小さいころや我々の親の世代は、「焼酎」は「安くて質が悪い酒」「貧乏人の酒」「呑むと目が潰れる」というイメージがあったようです。実際に私もお酒を呑みはじめたころは焼酎という選択肢はありませんでした(割りものの中身が焼酎ということはあっても)。
当時の焼酎は醸造アルコールとか混ぜものが多かったからだと思うのですが、それが2000年初頭に焼酎ブームが来てからイメージが一転しました。
ある意味、焼酎はここで「進化」したと思います。中身はもちろんのこと、人々の焼酎のイメージを一新するような進化を遂げたと。
というわけで、今日も焼酎ソーダを呑もうと思います(焼き鳥屋さんだし)。
ではコロコロニュース。
コロコロニュースもいつまでつづけられるかわかりません。言論統制は見えないところではじまっていますが、これからもっとわかりやすく行われるでしょう。
興味関心がない人にはまったく気づかない世界かもしれませんが、超危険水域まで来ています。治安維持法レベルまでそう遠くない。
さて、本日のお話。
「焼酎」はもはや定番商品ですが、なぜヒットしたのでしょうか?そもそも、ヒット商品ってどのようにつくるのでしょうか?
今日は、「MAYA段階」というお話をとおして「ヒット商品を生み出す考え方」をお話します。
●ヒット商品の原則「MAYA段階」とは?
「ヒット商品の原則」とありますが、まずはデザインのお話からします。
デザインにおいて、デザイナーと一般の方々(デザインに関わる仕事をされていない方とします)との間には、「感性のライン」とも言うべき境界線のようなものが存在するというのを、私はビズアップ創業前の早い段階(会社員時代)からずっと感じていました。
しかし、その感覚は言語化できるレベルではありませんでした。ビズアップはのべ25,000社以上のお客さまからロゴのご依頼をいただいてきましたが、お仕事をしていく中で、当時漠然としていた「それ(感性のラインの存在)」が少しずつ輪郭を得るようになってきました。
デザイナーの感性が行き過ぎると、一般の方々には理解ができません。
その行き過ぎた感性でパッケージデザインや広告等をつくっても、一般の方々が理解できないので売上には貢献しません。パッケージデザインや広告は最終的には売上に貢献することがツールミッション(C)ですので。
なので、パッケージデザインや広告のデザインにおいてはデザイナーの感性が正しいかというと一概にそうとは言えず、結果(売れたかどうか)をもってしか正しさは証明できません。
「ずっと漠然と感じていて、あるときやっと輪郭を得てきた」とお話しましたが、そんな都市伝説のような存在だった「感性のライン」、存在が確証に変わったのは「MAYA段階」という言葉を知ったときでした。
私がそれに気づくずっと前からすでにそれを提唱し「MAYA段階」と命名していたのが、レイモンド・ローウィという昔のデザイナーです(すでに亡くなっています)。
当時、レイモンド・ローウィがデザインした商品はほとんどがヒットしていて、高額でのデザインの依頼がたくさん来ていました(当時の日本円で1億円とかだったかな?)。
- シェル石油のロゴ
- 不二家のロゴ
- ナビスコリッツのパッケージ
- タバコのラッキーストライク
- タバコのピース
他にもたくさんあるんですが、こういったものが彼のデザインしたものでそのほとんどはまだマイナーチェンジ程度しかされていないものばかりです。
女性は口紅やリップを使うと思いますが、ひねると中身が出てくるあの構造を考えた人でもあります。
このコラムによく登場する私の師匠、伊吹卓先生は、実はこのレイモンド・ローウィの最後の弟子と言われていました。伊吹先生はデザイナーではありませんが、売れるデザインを研究するに当たり最終的に行き着いたのがローウィだったようです。私も伊吹先生からローウィとのエピソードをよくお聞きしていました。
私が「MAYA段階」を知ったのはローウィについて調べようとWikipediaを見ていたときでした。その中に「MAYA段階」の表記があり、雷に打たれたような衝撃がありました(大げさではなく)。
「MAYA段階」はある英文の頭文字を取ったものです(伊吹先生の「メリコの法則」も頭文字ですね)。
- Most Advanced Yet Acceptable
この英文を訳すなら、「受け入れられるか受け入れられないかギリギリの前衛、先進性」みたいな意味です。Wikipediaには
- 消費者の中に潜む【新しいものの誘惑と未知のものに対する怖れ】との臨界点
とあります。私流に言うならば「感性のライン」となります。
師匠の伊吹先生は、「売れるデザインが知りたければ、スーパーに1日立っとけ」という人でした。
それを聞いたサラリーマン時代の私は、仕事を抜けだしてスーパーが忙しい時間帯(夕方5時くらい)に売り場に数日立っていたことがあります(さすがに1日中はしんどかった)。当時の社長に「お前どこで何やっとんじゃ!」と電話で怒られたりもしました。
まがりなりにもデザインのディレクションをやっている人間です。「何が売れるか = デザイン的な優劣(と当時思っていた)はわかるぜ」と当時の私は思っていました。
しかし、自分がデザイン的に良いと感じるデザインではないパッケージデザインの商品が次々に売れていきます。正しいと思っていた自分のデザインセンスは、「売れる」という目的の前では正しくありませんでした。
「デザイン的な優劣はわかるぜ」というおごりは、MAYA段階(当時は知らなかった)という「感性のライン」によってもろくも崩れ去ったのです。
さて、「デザインの話か」と思われたらお待ちください。この「感性のライン」、デザインに限った話ではないのです。
たとえば、お笑い芸人。
彼らが本当に面白いと思っていることと、テレビの前のお茶の間の人々が笑うポイントは違います。特にゴールデンタイムの番組の笑いは広い層にウケるように浅い(わかりやすい)笑いを出演者も放送作家さんも考えます。
逆に「楽屋ネタ」という言葉があるとおり、もっとマニアックで一般の人の「感性のライン」のだいぶ先を行っているお笑いもあります。
アパレルで言えば、パリコレなどは完全に「感性のライン」のはるか向こう側過ぎて、少なくとも私には理解できません。「それ着て街は歩けないだろ」的な。
映画なんかもそうですよね。プロや映画関係者、映画オタクが評価するからといって興行的に成功するとは限りません。
料理も同じではないでしょうか。行き過ぎた感性の料理、たしかに食べたら美味しいのでしょう。でも、居酒屋のほうがお客さんの数は多いです。みんな、焼き鳥や煮込みが好きなんです。
家などの建築物もやっぱり感性のラインがありますよね。
渋谷駅の東急線の乗り場付近をデザインした安藤忠雄氏は、一時ネットでかなり叩かれていました。利用者の利便性より自身の感性(たいてい行き過ぎている)を優先させてしまったからです。
簡単にいえば、この「感性のライン」をギリギリ越えるか越えないかのところがヒット商品となるということなんです。
以前たまたま購入した本にローウィのことや「MAYA段階」のことが書いてあってびっくりしたことがあります。
→ヒットの設計図 ――ポケモンGOからトランプ現象まで デレク トンプソン (著)
この本の「MAYA段階」の解説がとてもわかりやすかったので引用します。本にはこう書いてあります。
人間はつねに
- 新しいもの好き
- 新しいものに対する恐怖
の両方を抱えている生き物で、心の中で常にこの2つの心理が綱引きをしている状態だと。
そして、
- 最適レベルの新しさ
を求めている、ということなんだそうです。
言い換えれば、「なじみ感」と「驚き」の両立。ここが「MAYA段階」だということです。新しさは十分でも売れていなければ「なじみ感」が足りないということになり、「なじみ感」が十分でも売れていなければその商品には「驚き」が必要ということです。
●感性のライン「MAYA段階」を感じさせるエピソード(1)ー浪漫飛行ー
この「ライン」は前述のとおり、デザインにかぎらず他の業種や商材にもあります。その事例のひとつをご紹介しましょう。
私は一応、元バンドマンでして名前を聞けば誰でも知っているような大手のレコード会社からフルアルバムをリリースしたことがあります(インディーズでしたが)。
私たちのバンドは、
- ミュージシャン仲間
- ライブハウスの店長やスタッフさん
- 音楽に詳しい人
- その他音楽関係者
などにかなり評価されていました(自分で言うのもどうかと思いますが)。でも、全然売れませんでした。評価してくれるのはその道の人ばかり。ちょっとマニアックだったんですね。
その時から感じていたんです。
自分たちがつくりたいものと、オーディエンスが聞きたいもの、2つの間には隔たりがあると。行き過ぎた感性は聴衆を「ポカン」とさせるだけだと。
米米CLUBというバンド、ご存じの方も多いと思います。「米米CLUBといえば?」という「魔法の質問©」をするならば、「浪漫飛行」と回答する人が多いのではないでしょうか。
ところで、「浪漫飛行」は彼らがバンドを結成しデビューしてからだいぶ経ったあとに発売された楽曲だということをご存知でしょうか。
しかも、米米CLUBのカールスモーキー石井さん以外のメンバーは、「浪漫飛行」のリリースに反対していたと聞いたらどう思うでしょう?
米米CLUBの結成は1982年(デビューは1985年)、それに対して、浪漫飛行は1990年にリリースされています。つまり、結成から8年もあと。
浪漫飛行以前の米米CLUBは、実はどちらかというと「イロモノバンド」的な要素が強かったのを知っていますか。曲調はファンク、歌詞はコミカルでした。たとえばこちらの曲とか。
私も小学生のとき(1988年だったと思う)に米米CLUBファンの友人に聞かせてもらいましたが、正直意味が不明なバンドでした。
当時のカールスモーキー石井さんは、こんな感じ。
これを見ても「ちょっとホストっぽいな」「一昔前のホストっぽいな」くらいの感想しかでないと思います。
しかし、当時の「男」といえば以下のような方々です(1989年時点)。
どうでしょうか(笑)。これこそが男(漢)!全員が「魁!!男塾」の門下生のような風貌!
ちなみに、彼らの当時の年齢は以下のとおりです。
- 山城 新伍(51) → 木村拓哉と同い年
- 梅宮 辰夫(51) → GACKTと同い年
- 千葉 真一(50) → 堺雅人と同い年
- 松方 弘樹(47) → 香取慎吾と同い年
- 北大路欣也(46) → 押尾学(爆)と同い年
当時の松方弘樹と北大路欣也は今のワタクシより年下!
そんな時代に「ホスト」のような見た目だったカールスモーキー石井さん。当時の男たちからしたら意味がわからないファッションや存在感で、意味がわからない歌を歌っているバンド。これってMAYA段階のはるか先を行っている状態だったわけですよ。
なので、米米CLUBは一部の強烈なファン(特にカールスモーキー石井ファン)以外にはそれほど認知されていませんでした。
さて、前述のように「浪漫飛行」を制作、発表することについては、メンバーのほとんどが反対だったらしいです。
なぜかというと、それは「売れ線の曲」だったから。悪い言い方をするならば、「商業的音楽」だからということで、自分たちのアイデンティティを崩してまで売れたいのか、という葛藤がバンド内であったそうなんです。
カールスモーキー石井さん以外は全員ほとんど反対。その結果、なんとレコーディングにはバンドメンバーの中でカールスモーキー石井さんしか参加しなかったそうです(ドラムの人がちょっと手伝ったらしいですが)。
浪漫飛行、もう一度聞いてみてください。実はコーラスもカールスモーキー石井さんが自分でやっているんです。
話は変わらないようで変わりますが、私自身もバンドをやっていた、そして、つくり手の私たちと聴衆が聞きたい音楽の間には隔たりがあった、と先ほどお話しました。
繰り返しになりますが、私たちのバンドは人見知りが過ぎてお客さんをあまり呼べなかったし、対バン(同じライブにでるバンド)の人たちとも仲良くなれなかったのですが、ライブハウスの店長やスタッフ、音楽プロデューサー、対バンで出た他のバンド、一部の音楽好きなどの「マニアックな人たち」「音楽通」からの評価は高かったんです。だから「自分たちが正解」と勘違いしていました。
しかし、残念ながら商業的成功はしませんでした。そこには「大きな溝」があった。言い換えるならば「レベルが高いことと売れることとは別の問題」だったのです。
- 人見知りな上にスノッブな雰囲気(鼻につく感じ)
- 「わかるやつだけわかればいい」という思い上がり
- 「売れるためにダサいことはしたくない」という別の意味でダサい思考(ちなみに私は「売れてから好きなことやればいいじゃん」とメンバーに伝えていた)
これらが服を着て歩いているようなバンド。
あるとき、レコード会社(たしかBMG)の人に言われました。「英詞じゃなくて(私たちはカッコつけだったので英語で歌っていた)日本語の歌詞にしたらデビューさせてあげてもいい」。
ボーカルはじめみんなきっぱりと断っていました。そんなダサいことできるかと。まあ、ボーカルは日本語のセンスがなさすぎて歌詞を書けなかったんだと思いますけども(笑)。
「英詞じゃなくて日本語の歌詞ならデビューさせてやる」、これはまさに芸術性と商業的成功の話です。
私たちは「芸術性が高ければ売れる」と思っていた。カールスモーキー石井さんは、しっかりと商業的成功を取りに行った。
私たちのバンドは「良い商品をつくってさえいれば売れる」といって売り方を考えていないのとまったく同じでした。良い商品だからといって売れるとは限らないのです。「良い商品をつくってさえいれば・・・」は思考停止なのです。
しかし、では「良い商品」をつくろうとしなくてよいのか(音楽の場合「芸術性」を求めなくてもよいのか)、というとそれも違うわけです。
なぜなら、そんなもの(芸術性のない音楽やバンド)は世の中にありふれているからです。つまり、MAYA段階ではないということです。「なじみ感」はあっても「驚き」がないということです。
米米CLUBはその風貌や存在感(驚き)と売れ線の楽曲(なじみ感)が当時の時代においては絶妙にマッチしたのではないかと私は考えています。
●感性のライン「MAYA段階」を感じさせるエピソード(2)ーあの日本の世界的アパレルブランドー
この感性のラインをうまくコントロールしている日本の企業があります(私の推測ですが)。
日本人ならほとんどが知っているアパレル企業「ユニクロ」です。
私はわりと洋服が好きです(先ほどのパリコレとかは意味がわかりませんが 笑)。なので、そこそこ洋服屋さんに出入りします(メチャメチャ詳しい訳ではありません)。
オシャレな洋服のブランドやセレクトショップ、ファッション誌などは言い方を変えると実は「教育者」と言えます。
何を教育しているかというと、感性を教育しています。「新しいけど怖くないよ〜」的な。
これは業界全体、場合によっては社会全体の「感性のライン(MAYA段階)」を押し上げている、とも言えます。
アパレル業界の「教育者」たちが教育し、それを理解できる人が増えることで「最適レベルの新しさ」は少しずつ押し上げられます(レベルが上がる)。
ユニクロは「この感性のラインをうまくコントロールしている」とお伝えしましたが、ではユニクロはおしゃれなブランドショップやファッション誌のような「教育者」なのかというと、私の推測では答えは「No」です。
ユニクロは「刈り取る者」です。
人々が教育されてきたころを見計らって、同様のデザイン、シルエットの商品を安く大量に提供する。
そうして常にボリュームゾーンを取りながらターゲットに対しては「ハイセンスだ」と感じさせる、これがユニクロ手法だと考えます。
ユニクロが有名になりはじめたころの印象は「安くてそれっぽい服(≒ニセモノ感)を売っている店」でした。「ユニバレ」という言葉があったくらいです。ユニクロを着ているのがバレることで、それが恥ずかしいことだと若者が感じる時代があったのです。
今は「ユニバレ」なんていう言葉もなくなり、すっかり市民権を得ていますね。
ただ、私の個人的な感覚で恐縮ですが、「やはりユニクロはビミョーだな」と思わせる期間と、「ユニクロなかなかやるじゃん!」と思わせる期間が交互に来るんです。
洋服好きな人にとってこういう現象が起きるのは、ユニクロがタイミングを見計らって教育が完了した人(メインターゲット)を刈り取っているからだと考えています。
私のように少しファッションが好きな人は、そうではない人より教育されるのが早いです。なので、次のブームに移るのも早い。
つまり私はユニクロにとっては正確にはメインターゲットではないわけで、ユニクロは私よりも後ろにいる人たちをターゲットにしているわけです(そのほうがボリュームゾーン)。
ユニクロはゆっくり教育される人、最後に教育される人をすべて刈り取ってから、次のブームがまた教育され、完了しそうなころを見計らって、それと同じようなシルエット、デザインの服を安く売りはじめるのです。
「最適レベルの新しさ」をターゲットの教育され具合に合わせてコントロールしているわけです。
その証拠に、ユニクロはロゴに関しても同様のことをしています。こちら、ユニクロの現在のロゴと少し前のロゴです。
どちらが好きか嫌いかの好みはあると思います。特筆すべきは、どちらのロゴも同時期にできていたこと。
その際、デザイナー界隈の会話ではみんな口をそろえて右、つまり現在のロゴのほうがよいと言っていました。「なんでダサいほうを使うんだ?」というようなことをデザイナーの多くは言っていたのです。
しかし、そこがさすがユニクロです。
右のロゴはまだ多くのメインターゲットが感性的に追いついていない(教育されていない)MAYA段階のだいぶ先だった、つまり、ターゲットとなる人にとっては「新しすぎて怖い」と思われる可能性があった。だから左のロゴを採用した。
そして、数年前にそろそろよいタイミングだろうということでロゴをリニューアルしたと私は推測しています。
●感性のライン「MAYA段階」を感じさせるエピソード(3)ーさまざまな商品の進化系ー
このコラムで何度かお話している「進化系」。これについてもMAYA段階で説明できます。
「進化系」とは、旧態依然とした業界や商品に新しいイメージ、他にはないイメージを取り入れてバージョンアップさせたものです。主にデザイン(見た目)により今までにはないと「感じる」イメージを構築します。
コンセプトや見栄えを今までにないものに変えることで、その商品、業界が今までとは違った認識をされヒットするわけです。
今までも
- コインランドリーの進化系
- おせんべいの進化系
- コーラの進化系
- 床屋さんの進化系
- 八百屋さんの進化系
など、さまざまな「進化系」をこのコラムで取りあげてきました。
時代は繰り返すといいますが、洋服や音楽も一周回って、みたいなことはよくありますよね。たとえば私が高校生のころはベルボトムのズボンが流行りましたが、それを見た父親に「パンタロンがまた流行っているのか?」と聞かれたことがあります。
実はこれ、ただ単に1周しているのではありません。ちょっとずつ形を変えている、つまり進化しています。考え方としては螺旋です。真正面から見るとただ単に1周したように感じますが、立体でとらえると少し進んでいるわけです。
これが進化系の構造です。
「進化系にするとなにがうれしいのか」は、このメルマガで何度も登場する「メリコの法則」解説できます。
- メ:目立つこと
- リ:理解できること
- コ:好感が持てること
まず目立つかどうかといえば圧倒的に目立ちます。
すでに知っているモノ、コトが新しくなって登場する。その際にまだまだ旧モデルが残っていれば残っているほど相対的に目立ちます。ギャップを感じさせることができるからです。「え?これがおせんべい屋さんなの?」「こんなコインランドリー見たことない!」となります。
理解できるかということに関してもアドバンテージがあります。すでに知っているから、「what(そもそも何なのか)」が一発でわかります。「おせんべい」を知らない人も「八百屋さん」を知らない人もほとんどいないはずです。
つまり、すでに受け入れたことのある商品がデザインやその他で「進化」しても、既知の範囲に収まっている可能性が高いから理解できる(=恐怖を感じづらい)。
そして好感が持てるかどうか。
前述のとおりここでデザインが大きな役割を果たすのですが、進化系では「今までと違う」ということと「ステキだ」ということを表現するのがデザインであることがほとんどです。進化系では好感をもってもらうことが大前提ですから(嫌われるほうに進化しようとする人はいない)、メリコの「コ」に関しては当然ながら備わっています。
まさに売れる商品の条件「MAYA段階(最適レベルの新しさ)」に見事に合致します。「新しいもの好き」「新しいものに対する恐怖」の矛盾をうまくクリアしています。「なじみ感」と「驚き」を両立できています。
というわけでだいぶ長いコラムになりました。
- 今の商品を見直す
- これから新商品をつくる
という場合は、ターゲットの求める「最適レベルの新しさ」がどこにあるのかをぜひ検討してみてほしいです。小さいかもしれませんが、どんな会社でも起こせるイノベーションの第一歩になると思います。
感性のライン「MAYA段階」は「最適レベルの新しさ」であり、ヒット商品の大原則だというお話でした。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール
-
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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