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2023年03月24日 メールマガジン 所感 【第665回】幸せの定義、不幸の概念

3月も終わりに差し掛かり、春らしい陽気の日がつづくようになってきました。

体調が悪いです。

一昨日食べた焼き肉にあたったようです。その日の夜中に少し気持ち悪くなり、翌朝は下痢、そして昨日の昼辺りからずっと胃が痛いです。夜寝てても痛い。こんなのはじめて。

こんな春の気持ち良い日に、布団に入りながらこのコラムを書いております(泣)。

そんな私ですが、実は先週、海外に出張に行っておりました。場所はフィリピンの首都、マニラです。本日はそのときのお話をさせていただこうと思います。

ブランディングやデザインの話とは直接的には関係ありませんが、何かしら感じていただけるものがあれば幸いです。

それにしても、マニラではお腹は大丈夫だったんですけどね(一緒に行ったメンバーはみんな最終日にひどくやられておりました)。なぜ焼き肉ごときで。。。たしかに過去、エイジドビーフに何度かあたっているのでもしかしたら今回もそれかもしれませんが。。。

さて、本日は長いのでコロコロニュースはお休みです。さっそく本題に入りましょう。

 

●フィリピンという国

まずは、フィリピンという国について、特にその歴史についてお話してみたいと思います。ネットを叩けば出てくる情報から、私が調べて邪推した情報(笑)まで、いろいろとお話してみます。

フィリピンは日本から飛行機で5時間(帰りは4時間)くらいの場所にあります。私はもっと遠いと思っていましたが、台湾のわりとすぐ南で、香港に行くのとさして時間は変わらない感じでしょうか。

フィリピンといえば「セブ島」と答える人も多いと思います。最近人気のリゾート地ですよね。

そもそもフィリピンは大小7,000以上もの島からなる国で、その中でももっとも大きいのが、首都マニラがあるルソン島です。ルソン島といえば第二次世界大戦で激戦が繰り広げられたことを知っている人も多いでしょう。

人口はおよそ1億200万人。日本より少し少ないくらい。言語はタガログ語と英語がメインです。

フィリピンの渋滞は一説には世界一とか。

ホテルからの長め。古い建物と高いビルが混在。
高いビルもいつ完成するのかわからない感じ(工事してない)。

初日に行ったルーフトップバーからのマニラの夜景。

フィリピンの歴史を少し話すと、フィリピンは長いこと占領されている国でした。16世紀の大航海時代に、歴史の授業でもよく出てくるマゼランがフィリピンを発見、植民地化します。

当時のスペイン王フェリペ2世(当時は皇太子だった?)の名前をとって「フィリピン(フェリペのもの)」という国名になったそうな。。。

ここではフィリピンの人たちはキリスト教への改宗を迫られることとなりました。おそらく奴隷貿易とかもあったのではないでしょうか?

日本もそうでしたよね。信長の時代にザビエルのおっさんが来たわけですが、日本でもイエズス会による人身売買などがあったと言われています。なにせ、キリスト教の中でもいまだに悪名高いイエズス会ですから。フィリピンのみならず、当時は宗教により世界を支配をしようとする時代でした。

日本の学校では、キリスト教含む当時の南蛮文化を取り入れた信長は、流行に敏感で「イケてる」というふうに表現されて習いますが、私は怪しいと思っています。たしかに信長にはそういう側面もあったのかもしれませんが、私は日本を植民地にしようとする宗教勢力(主にイエズス会)により捻じ曲げられた歴史解釈なのではないかと考えています。

その証拠というわけではないですが、信長の一番弟子だった秀吉は、その後日本からキリスト教を排除しようとします。

本能寺の変では、毛利討伐に動いていた秀吉がいたとされる場所から明智光秀を打つために駆けつけるには到底無理がある距離だそうで、これは明智光秀による本能寺の変の情報を掴んでいた秀吉が近くに待機していて、明智に信長を打たせたあとに動いたのではないかという説があるほどです。

つまり、信長が天下を取ってしまったら日本が乗っ取られる、売国されるという情勢だったのではないか、だから明智にわざと信長を打たせたと推察するわけです。

キリスト教排除といえば、踏み絵などをさせた江戸幕府を思い浮かべるかもしれませんが、あれも「当時の幕府はひどいことをした」という印象で習いますね。本当にそうなのかな。国が侵略され国民が売られるならそのくらいのことはするでしょ、と思ってしまう。今の日本の政治のほうがあからさまな売国でよっぽど気持ち悪いです。

とまあ話がなぜか日本の歴史になってしまいましたが、その後フィリピンはアメリカの植民地となります。

どうやら、「スペインからの独立を助けたるわい」なんていう甘い言葉でアメリカは近寄りフィリピンを支援、フィリピンはスペインとの戦いに勝利し独立。なんだかウクライナの構図にも似ていますね。アメリカって昔からこんなことばかりしていたのか?

フィリピンはスペインに勝利し独立宣言をおこない、初代大統領も誕生しました。ところが一転、アメリカがフィリピンの統治権を奪い、フィリピンは今度はアメリカの統治を受けることになってしまいました。

アメリカがスペインに2000万ドルを支払うことでフィリピンの統治権を譲渡された事実もあるとされています。ほんとにヒーロー気取りのひどい国。大嫌いです。

その後日本の占領下に置かれるわけですが、ここからは第二次世界大戦での日本の在り方が関係するので、人によって解釈が大きく分かれるところとなると思います。我々が学校で聞かされてきた「自虐史観」では、当時の日本人はフィリピンはじめアジアの国にひどいことをしたと習います。

実際はどうでしょう。当時のことはわかりませんが、西側諸国からアジアが開放されることとなったといまだに日本を尊敬しているアジアの国家元首も多くいます(大東亜戦争はアジア開放のための戦争だったと)。両方の意見を知っておくことが大事ですね。

事実、フィリピンも、第二次世界大戦後に日本軍が撤退したことで、晴れて独立しました。戦地として被害を受けましたが、結果的には西側諸国から開放されました。

しかし、その後1980年代までマルコス大統領の独裁政権などで国民は苦しんだ、とされています。つまり、独立しても誰かに支配された状況でフィリピンは不憫だと。。。当時小学生だった私も、父親がニュースを見ていて独裁政治のことを「ひどいなぁ」と言っていたことをよく覚えています。

ただ、私はこれには疑問を持っています。本当に独裁者だったのか、だったとして、国民は本当に不幸だったのか。日本のメディアで「独裁者」と報道されるということがどういうことか、勘がいい人ならわかると思います。

「テロ指定国家」ってどうやってなるか知っていますか?一説には「中央銀行をつくらせなかった国がテロ指定国家になる」と言われています。何が言いたいかと言うと、宗教での支配の時代が終わり、金融による支配の時代になっていったということです。

リビアのカダフィ大佐、イラクのフセイン大統領、テレビのニュースではひどい独裁者で、だから革命が起こったとかアメリカが手を貸してさばいた、みたいなニュースがありますが、ちょっとネットを叩けばこれがウソと言ってもいいほどひどく捻じ曲げられた報道だということがわかります(興味ある人は調べてください)。

なので、西側に乗っ取られたメディアが「独裁者」というときは疑ってかかっています。あれ?今まさに北の国の大統領がそんなふうな印象で報道されてますね。「ならず者国家」とまで言っている番組がありましたが、どちらがならず者なのか。。。

金融による支配の初手は、中央銀行をつくることです。さて、ではフィリピンにはいつ中央銀行ができたのでしょうか?マルコス失脚後1986年にアキノ大統領が就任し、その後1993年にできたそうですよ。新しい。少なくともマルコス時代には中央銀行をつくらせなかった。だから独裁者、民主化の敵と報道された。。。ありえますね。

ちなみに、フィリピンの中央銀行も日銀同様、たぶん株主は政府ではないでしょう。日銀は日本政府のものではないです。

日本の中央銀行、日銀がいつできたかご存知ですか?明治維新のあとです。ということは、明治維新は文明開化で〜とか日本の近代化で〜とか、幕末の志士は英雄で〜とか、歴史の授業であからさまに良い印象で習うことも気持ち悪いですよね。

私たちが習ってきた歴史って本当に正しんですかね(嘲笑)。

といった感じで、雑感がかなり多くなりましたが(汗)、フィリピンの歴史をご紹介しました。

 

●フィリピンの人々の暮らし

今回、経営者7名でフィリピンを訪れましたが、その旅のプランニングをしたのが私でした。

サラリーマン時代に、上司や先輩でフィリピン出張にいった人たちから「とにかく治安が悪い」と聞かされていたので、正直行くのは乗り気ではなかったです。もちろん上司や先輩の話は20年も前の話なので今は違うとわかってはいましたが。。。

なにせ当時のフィリピンは警察官が銃を突きつけて金を要求してくるみたいなことがザラだと言われていましたから。。。おそろしい。

しかしながら、プランニングをした私がマニラ市内で予約したホテルは、なんとマニラで1番くらいに治安が悪いエリアだったと向こうについてから知ることとなるのです(汗)。

街の雰囲気は、ひとことで言えば「雑多」。排気ガスのせいなのか、空はくすんでいます。街は下水処理が追いつかないのか、ちょっと、いやけっこう臭いです。

原付き3人乗りとか見たの中学生以来かも(笑)。

ホテルの前にはなぜか日本料理屋が数軒。

コンビニはほとんどセブンイレブン。

たまにミニストップ。 

空から見たマニラ。奥にビル群が。。。 

車はほとんどが日本車でした。トヨタが一番多く、その次に三菱とスズキ。バイクは圧倒的にホンダ。ヤマハもありました。トラックはいすゞが多いですね。日野自動車も少し。日本車以外の車はヒュンダイが少し走っていました。高級車ともなればほとんどなく、BMW1台、Audi1台、レクサス2台くらいしか見かけていないんじゃないかな。

とはいえですね、じゃあボロい車ばっかり走っているかといえばそうでもないんですよ。意外と新しい車が走っていました。

そして何より驚いたのは、車がきれい。交通事情は本当にひどくて(アジアあるある)、まずは信号が少ないし、原付きはみんな2ケツ以上でガンガン車に向かって突っ込んでくるし、車もガンガン割り込んでくるしで、よく事故らないなという感じなわけです。擦ったりぶつけたりなんてしょっちゅうだろうと。

写真だと分かりづらいかもですが、
車とバイクと歩行者がとにかく入り乱れてます。

ところがですね、本当に車がきれいなんですよ。傷やへこみがある車のほうが圧倒的に少ないし、ちゃんと洗車しているんじゃないかっていうくらいきれい。なんでですかね?

窓ガラスがきれいなのはなんとなくわかります。なぜなら、信号待ちの車に向かって子どもたちが窓ガラスを拭きに来るからです。チップをくれと。。。でもボディまできれいなのはやはりナゾでした。どこかのお店に行って停めている間に掃除させている(勝手に掃除されている)のかな?

ちなみに例外もあります。タクシーやトラックなどの「社用車」らしき車は汚くてキズ・へこみだらけ。会社の車だし、お金も売上(会社のもの)だからかな?

そんな交通事情なのになぜか車はピカピカ。

わかりづらいけどこの車もピカピカで新しげ。

ちなみにタクシーやGrab(Uberみたいなの)は懐かしのミッション車。

つづいてはご飯の話。フィリピンのご飯は、正直言ってあまり美味しくないです。。。初日はフィリピンのファミリーレストランのようなところに行きましたが、焼いた肉くらいしか食べなかったかな。。。

フィリピンのファミレス的な店。

焼いた肉はほとんど同じ味付け。麺はやわやわでした。

マクドナルドが戦いたがらないと言われる
アジアのファストフードチェーン「Jollibee」。
行ってないけど写真だけ。。。

2日目は海鮮市場のようなところに行きました。市場で買った食材をすぐ目の前の店で調理してもらうスタイル。日本でこんなところ行ったらテンション上がりまくりの私ですが、フィリピンでは上がりませんでした。なぜなら、市場が臭いからです。

「Everything is Fresh」に思わず「ウソつけ!」と突っ込みました(笑)

これ、食べたら絶対やられるだろ、と何人かの友人経営者と話していました。場所を変えようよと。。。しかし、他の何名かが「起業家ならチャレンジすべきだ」と勇ましいことをいいはじめ、結局店に。

見た目はとても美味しそう。味も1日目の店よりは美味しかった。

まあ結果的にお腹は壊しませんでした。味のほうは、まあ悪くないかな。市場で買ったものが何も入っていないガーリックライスが一番人気でした(笑)。

フィリピンの人は、食事中にあまりお酒を呑まないのか、お酒の種類が極端に少ないです。外国人が行くようなバーでもない限り、ほとんどがサン・ミゲルというビールしかありません。これがまた味が薄いのなんの。。。

初日の2軒目には、大きなショッピングモール(その中だけマニラじゃないみたいにきれいで治安が良さげ)の中に「和民」を発見。日本でもほとんど行きませんが入ってみたところ、アサヒスーパードライがあるというではないですか。さっそく頼みましたよね。呑んだらこれも薄い(泣)。。。現地の人の舌にあわせたようです。

和民とはいえ、さすがにフィリピンで
「Sushi」を食べる気にはならなかった。

「やったー!スーパードライだー!」と思ったのもつかの間、「あれ?」

このあたり、やたらきれいで治安良さげ。お金持ちエリア。

さて、フィリピンの人の稼ぎってどれくらいか気になりませんか?

平均月収で、だいたい日本円で2〜3万円らしいです。3万円はたぶん高いほうじゃないかな。だから年収にすると20万〜30万円後半くらい。フィリピン大学という、日本でいうところの東大を出た人でも、月収5万円、年収60万くらいだそう。

フィリピンは日本のように雇用者を大切にするという考えがあるそうで、一度正社員になると企業側はかんたんには辞めさせられない。12月にはボーナスの意味なのか、2ヶ月分の給与を渡す慣例があるそうです。

では現実はというと、ほとんどの人が半年間の業務委託契約で働き、それを更新しているだけだそうです。こうすることで契約期間終了という形で事実上の解雇もできるし、12月に2ヶ月分の給与を払う必要もなくなるという、労働者を大切にする仕組みがきれいなまでに形骸化された状態のようです。もちろん正社員の人もいますけどね。

1日だけ、KTVといういわゆる向こうの「キャバクラ」に行きました。その名も「Beppin-San」(笑)。

そこはゴリゴリな営業で超有名な某通信(笑)という会社出身の日本人がオーナーとのこと。女の子のあいさつが「ゾス!」だったらどうしようかと思いましたが(爆)、普通に「いらっしゃいませ~!」でした。ただ、声が市場のセリ並みに元気でした(笑)。

価格は90分で500ペソ。およそ1250円。指名をすると追加で350ペソ、1000円弱ですかね。安い。。。でも女の子のドリンクが400ペソ(1000円)で、これは日本のガールズバーと変わらんやん、という話になっていました。

女の子たちはみんな日本語がそこそこできて、日本に行ったことがある子も大勢いました。日本は就労ビザが半年のようで、滞在は半年しかできないため、帰ってきてまた行くなど、何度か日本に行ったことがあるという子もちらほら。

では、日本に永住したいのかというとそうでもないらしい。フィリピン人は家族をとても大切にするらしく(若い女の子でも普通に子どもがいたりします)、本当なら離れて暮らしたくないそうです。

お店の子たちは日本円にして月に3〜4万円くらい稼いでいるようで、フィリピンの平均月収からいったら当然高いです。しかし、それでも決して裕福ではないでしょう。

私についてくれた女の子に聞いたところ、通勤は片道2時間半だそうです(汗)。他の子も似たようなものらしく、そこまでしても家族を大切にするというのと、でも決してマニラ市内には引っ越さないということで軽く混乱しました。

職場と自宅が近ければ近いほど年収が高い、みたいなデータがあると聞いたことがあるけど(因果関係怪しいけど)、家賃が安いからと遠くに住むのは本当に正解なんだろうか。。。余計なお世話だろうけど。

ちなみに、フィリピンでは給料日が15日と30日の月2回。で、給料をもらった日に外食して半分くらい使ってしまうらしいです(苦笑)。宵越しの銭は持たないというとかっこいいですけども。

あ、それとフィリピンのコ□ナ事情に関しても少し触れておきます。

まず、マスクをしている人は、マニラ市内で4分の1くらいでした。空港など場所によっては半分以上の人がしているところもありました。ホテルの中も、マスクをしているスタッフとしていないスタッフがいました。

見てみると、それこそ平均月収が高そうな人がマスクをしています。つまり正社員ぽい人。ここからが下衆の勘繰りなんですが、おそらくこういう人はテレビを持っている。街中にいる裕福でない人たちは、おそらくテレビなんか持っていない。

で、空港についているテレビで何度か見かけたのですが、フィリピンのテレビってどうやらCNNっぽいんですよ。ほら、アメリカ(金融)に事実上支配されてるし(たぶん)。

もちろん現地の報道をしているんですけど、左下にCNNのあのロゴが出ていたんで間違いないと思います。他の局もあるでしょうが、日本と同じように西側勢力に支配されてしまっているでしょう。

つまり、テレビを持っている人がテレビで煽られてマスクをしている、という日本と同じ構図でした。人数(=テレビの台数)が違うだけ。この騒動がインフォデミックだと改めて認識。

というわけでほとんどの人がまったくと言っていいほど気にしてません。

 

●スラム街と児童養護施設

私が所属している経営者団体では、チーム(8〜10人)で半年に1度旅行に行くことがルール化されています。そして、その旅行も必ずテーマを設けるようになっています。

今回、個人的に乗り気ではなかったフィリピンに行ったのは、テーマがあったからです。そのテーマが、スラムなどの貧困地域を見ることで人生観を広げるというものでした。

フィリピン3日目。午前中はスラム街を見学し、午後は児童養護施設(CMSPという施設)に見学に行きました。

私たちが訪れたスラム街は、マニラ市内から車で1時間半〜2時間くらいのところにありました。アテンドしてくれたのは、毎年児童養護施設に多額の寄付をしている経営者の先輩。

スラム街の近くには、先輩が寄付している児童養護施設CMSPが運営する保育所があり、地域がコミュニティ化しているので、スラム見学といえどみんな友好的で安全でした。

ドイツのキリスト教系(プロテスタント)団体がCMSPらしいです。

保育所の中はこんな感じ。

もう1枚。

先輩がいうには、ルソン島はなんだかんだいっても産業がまだあるほうなので、スラムといえどまだマシなんだそう。他の島にあるスラム街なんかは絶対に足を踏み入れられないと言っていました。

こんな感じの光景が広がります。

けっこうな圧迫感。

ゲストにも慣れている感じ??

生活と仕事が完全に一体化している感じ。

建物が密集しているので、空が狭い。

電線が恐ろしいことに。。。

洗濯物がきちんときれいに干されてる!

見学中、なんとスラム街の1軒のお宅に上がらせてもらうことができました。

2階建ての狭小住宅というのでしょうか。おそらく20〜25平米(日本のワンルームマンション程度)×2フロアーくらいのお宅です。ここになんと、4家族20人住んでいるそうです。一応、ひと家族ごとに部屋は割り当てられているようですが、2.5畳くらいしかありません。ここに5人。結局寝られないので屋上で寝たりするらしいです。

大人の男同士だとすれ違うのもしんどい広さ。

 2段ベッドに家族5人で寝る。

トイレは一応あるけれど。。。

フィリピン人は子どもをたくさん産みます。どうやらキリスト教が中絶や堕胎を良しとしないがために、かといって避妊具を買うお金もないがために、こどもがたくさん産まれるそうです。人口ピラミッド的には、日本と違ってこれから希望がもてる形にはなっているそうですが。

で、10人家族とかもザラのようです。スラム街では1日中にんにくの皮を向いたり豆を炊いたりしています。これを市場に持っていって、せいぜい1日10ドル程度の稼ぎ。10人家族なら一人あたり1ドルです。なので、1日1ドルで育てられた赤ちゃんという意味で「1ドルベイビー」といわれたりするそうです。

にんにくの皮むき中。

大量の豆を炊く。

スラム街からさらに車で2時間くらいの場所に、CMSPの児童養護施設があります。午後はここを見学。

マニラから2時間くらいのナイクというエリアにある児童養護施設CMSP

下は3歳くらい(もっと下もいるかも?)から上は16歳くらいまで、多くの子(おそらく50人くらい)が親元を離れて暮らしています。

自分の子どもよりも小さい子たちが親元を離れて暮らしているなんて。。。

ここにいる子たちは、親が育てることをギブアップした子がほとんどでした。先ほどお話したとおり、子どもをたくさんつくりすぎてしまい、生活が困窮してしまうため、児童養護施設に入れてしまうわけです。

はじめは「親に捨てられた」として親を恨む子もたしかにいるそうです。しかし、スラムでの暮らしに比べたら遥かに恵まれているということをあとから知り、親に感謝する気持ちになるんだとか。

この施設には16歳まで(たしか)しかいれないそうで、その後きちんとした職に付ける人もいれば、フィリピン大学などの超一流大学に進学できる子もいるそうです。しかしながら、行き場がなく残念ながらスラムに戻ってしまう子も現実的にはいるそうです。

我々が訪問すると、みんなで何曲も踊ったり歌ったりと、歓待のセレモニーをしてくれました。その踊りや表情は、本当に健気でピュアなもので、不覚にもちょっと泣いてしまいました。

小さい子たちが一生懸命踊って歓迎してくれました。

   お兄ちゃんお姉ちゃんになってくると踊りも上手で迫力があります。

 セレモニーの最後はみんなで握手やハイタッチ。 

セレモニーのあとは、みんなで釣り(池がある)をしたり、バスケットボールをしました。

私も釣り上げました。

バスケがめっちゃ盛り上がった。

フィリピンはバスケットボールが人気のようです。児童養護施設にも決してきれいではありませんが、バスケットコートがあります。なので、毎日のように練習している子たちは本当に上手でした。

しかしながら、我々「チーム日本のおっさん」は、なんと15分1本のゲームで彼らに勝利!彼らに勝ったのは日本人で初のようです。元バスケ部が2名いましたし、私も高校生のころ遊びでよくバスケをやっていましたので、僭越ながら三井寿バリの3ポイントシュートを30年ぶりに決めさせていただき、勝利に貢献しました(拳を握るのを忘れましたが笑)。

その後、もう1ゲームやろうという彼らの要望を振り切り、勝ち逃げに成功(笑)。実際あれ以上やったら夕飯が食えないほどバテたと思います。

で、ここからが今回のコラムで一番伝えたいことです。

それは、彼らは本当に不幸なのだろうか、そもそも不幸とは何なんだろうかという問題提起です。

本当に、めちゃめちゃおこがましい考えですが、私はここに訪問するまで「自分たちのほうが幸せだ」という隠れた前提を疑いもせずに持ったまま、悪い言い方をすれば「不幸な人々を見に行く」というつもりで訪問しようとしていました(もちろん無意識ではあれど)。

実際に、お金は我々のほうが持っているでしょう。今回も、一緒に行った仲間で宿舎を1棟直すという支援を決めさせてもらいました。

女の子が暮らす棟のひとつ。

しかし、これはなんというか「上の人間が下の人間に施しを与える」みたいな感覚では私自身はありませんでした。いや、ここに訪問する前に支援を決めていたら、そういうふうに思ったでしょう。

彼らが本当にピュアで健気に、それこそまったく不幸そうな素振りなど見せずに楽しく生きているのを見て、そして、そこそこ金持ちな国から偉そうに見学に来た我々を一生懸命もてなしてくれて、自分がいかにおこがましい人間かに気付かされました。

そして、私自身も本当にピュアに他意なく「支援させてもらいたい」という気持ちになったのです。これに気づかせてもらえただけでも本当に感謝。

さて、彼らは本当に不幸なのでしょうか。ここで、黒柳徹子さんの言葉を紹介します。

私が会った子どもたちは、みんな可愛かった。

笑っている子ども、ふざけている子ども、赤ちゃんを、おんぶした女の子、さかだちを自慢そうに見せてくれた男の子、いっしょにうたった子ども、どこまでも、ついてきた子ども。いろんな子どもたちに、会った。

そして両親や姉兄を目の前で殺された子ども、ゲリラに腕や足を切り取られた子ども、親が蒸発し、小さい弟や妹を残された女の子、親友だった家畜が、飢えて死んでしまいぼう然としていた男の子、家も学校も、すべて破壊されてしまった子ども、難民キャンプを、たらいまわしにされている孤児たち、家族を養うために売春する子ども。

だけど、だけど、そんな、ひどい状況のなかで、自殺をした子どもは、一人もいない、と聞いた。希望も何もない難民キャンプでも一人も、いない、と。私は、ほうぼうで聞いて歩いた。

「自殺をした子は、いませんか?」
「一人も、いないのです」

私は、骨が見えるくらい痩せて骸骨のようになりながらも、一生懸命に歩いている子を見ながら一人で泣いた。

『日本では、子どもが、自殺してるんです。』

大きい声で叫びたかった。こんな悲しいことが、あるでしょうか。豊かさとは、なんなの?

私がいろんな子どもに会って日本の子どもに伝えたかったこと。

それは、もし、この発展途上国の子どもたちを、「可哀想」と思うなら、「助けてあげたい」と思うなら、いま、あなたの隣にいる友達と「いっしょにやっていこうよ」と話して。「みんなで、いっしょに生きていこう」と、手をつないで。

私の小学校、トットちゃんの学校には体の不自由な子が何人もいた。私のいちばんの仲良しはポリオ(小児マヒ)の男の子だった。校長先生は、一度もそういう子どもたちを「助けてあげなさい」とか「手をかしてあげなさい。」とか、いわなかった。いつも、いったことは、「みんないっしょだよ。いっしょにやるんだよ」それだけだった。

だから私たちは、なんでもいっしょにやった。誰だって友だちがほしい。肩を組んでいっしょに笑いたい。飢えてる子どもだって、日本の子どもと友だちになりたい、と思ってるんですから。

これが、みなさんに、私が伝えたかったことです。

黒柳徹子

文中にもありますが、日本人は本当に幸せなんでしょうか?幸せって一体何なのでしょうか?

フィリピンのキャバクラにいた子(他の仲間についていた)も言っていたそうです。日本に住んでいたときに、リストカットの跡がたくさんある女の子がいて、なんでそんなことをするのか意味がわからなかったと。。。フィリピン人にはそんな子はひとりもいないと。改めて言いますが、私たち日本人のほうが物質的には「豊か」なはずなんですよ?

世界一幸せな国「ブータン」は、今は世界33位くらいに落ちてしまったそうです。なぜか?

スマホが普及したからと言われています。つまり、人と比べることができるようになってしまった。そこから幸福度が落ちはじめた。

我々は幸せや不幸の概念、定義が何なのかを知るために、こういった国やエリアを訪れるべきなのかもしれません。そして何かを体感して、生きることや幸福とは何かについて、もっと考えさせられるべきなのかもしれません。

ただ、フィリピンのスラム街でもなぜかスマホを持っている人が大勢いて、それはちょっと不気味でしたけども。。。

全員で集合写真。

ボラカイ島というリゾートでシーウォーク。このあと溺れかけます(笑)

 

今回はここまでです。

津久井

投稿者プロフィール

津久井 将信
津久井 将信
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。

かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。

2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。

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