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2021年12月17日 メールマガジン 商品開発 法則・ノウハウ 経営 【第605回】飲食店経営-おとんとおかんとぼくの失敗-

さあ、12月も半ばを過ぎました!このメルマガも年内は来週までです。

私は今週は名古屋、大阪、神戸と3泊の出張に出ました。出張は楽しい。夜呑み歩いちゃうので体力的には削られますが、楽しい。

オンラインで打ち合わせができるのは便利ですが、やはり直接お客さまにお会いしたい。

オンラインの打ち合わせって、わりとすぐ終わりますね。15分とか20分とか。

これ、直接会っていたときは30分とか1時間とかかけていたと思うんですね。これを「効率的」と見る人が多そうですが、果たしてそうか。

短期的に見たらそうでしょう。しかし、私は人間関係は非効率が前提、非効率であるべきとすら思っています。それが長期的な関係をつくると。すべての効率化は、この非効率な人間関係のために行われるべきだとすら思うのです。

今回お伺いさせていただいたお客さまは、みなさま本当に良くしてくださって、やはり直接お会いすることの偉大さを再認識しました。

神戸のお客さまに至っては、アポなしでビルの入口から「今近くにいるんですが・・・」とお電話させていただいたにもかかわらず、「どうぞいらしてください」と言ってくださり、以前ロゴ作成時にお会いした社長さまも、「何か頼めるものないんか?!」と従業員の方に聞いてくださるほど、直接お会いできたことを喜んでくださっている様子でした。

また、単純にうれしかったのが、名古屋も大阪も神戸も人手がコ□コ□前くらいまで戻っている印象だったことです。やっぱり人は、経済はこうじゃなくちゃ。

というわけで今週のコ□コ□ニュースはこちら。

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もういっちょ。。。ブラジルに移住したい。。。

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さて、本日は定番のお話です。

このコラムを読んでくださっている方は、たびたび登場する私の両親の話をご存知だと思います。家庭配置薬業(富山の置き薬屋さん)をやっていた両親です。

本日はこの両親が会社をやりながら飲食店に手を出して失敗したという、もうひとつの定番エピソードをご紹介します。こちらも手前味噌ですが面白いと思います。

 

●「薄情者!バイトなんてすぐ辞められるだろ!」

私が大学2年生のときでした。

当時の私は勤労意欲というものがほとんどなく、よく両親にたしなめられていました。「バイトしろ!」と怒られたこともあります。冗談抜きで社会人として機能しない人間なのではないか、就職できるのだろうか、社会不適合者なのではないか、と自分でも思ったほどです。

そんな私ですが、さすがに週に2日だけはアルバイトをしていました。お寿司屋さんで17時〜22時までの5時間。

夏休み前のできごとです。父親から連絡が来ました。

「いよいよ店をオープンする。夏休みの間、お前も手伝ってくれ」

店をはじめることは以前から聞いていましたがバイトがあるからムリと告げると、過去にあれだけ「すぐに仕事を辞めるヤツはダメだ!仕事っつーのはそういうもんじゃねえ!!」とかなんとかよく言っていた父親がそのときに限って

「薄情者!バイトなんてすぐ辞められるだろ!」

と言ってきました(汗)。

ちょっと頭が混乱しましたが、そのときのお寿司屋さんもとても良くしてくれた板長さんが濡れ衣的なできごとでクビになりかけたり、収益がでていなかったその店をチ◯ピラみたいな人が買収する、なんていうウワサもあったのでたしかに潮時だとも思い、アルバイトを辞めて父親の飲食店を夏休みの間だけ手伝うことにしました。

父親は出店の3ヶ月前に、本業の薬屋さんが休みの日だけある店に修行に言っていました。

その店は、「ゼリーフライ」というナゾのネーミングを持った、父親の出身である埼玉県行田市のソウルフードのお店でした。

貧乏だった子どものころからゼリーフライを食べて育った父親はその味をずっと覚えていました。そして、「これは売れる!!」と父親なりにずっと心の中で想いつづけていたようなのです。

ゼリーフライはおからとじゃがいも、ちょっとした野菜を素揚げしたコロッケのようなもので、ソースをつけて食べます。私も子どものころ、おばあさんの家に行くとよく食べてました。材料のほとんどがおからで、豆腐屋さんからいらなくなったおからを安く分けてもらうため、原価はものすごく低いです。豆腐屋さんからしたら廃棄コストがかからなくなり、Win-Winです。

ゼリーフライの写真(画像はグーグル先生より引用)

3ヶ月間、母親と一緒に休みの日に行田市に帰り修行をした父親は、意気揚々と店舗物件探しをはじめます。

本業が車を使う仕事でしたのでいろいろな場所の土地勘が一応あり、時間ができると車を走らせてよく見て回っていました。

そしてついに、父親いわく「確実に流行る!!」という物件を探し当てました。

物件は小さく古いですが、賃料も手ごろ。何よりその物件は駐車場付きで、目の前は朝晩と車が渋滞する交通量の多い通りが走っている、と父親は熱く語りました。

父親の中では出勤前の朝ごはんとして、また帰り道の小腹満たしに、こんなニーズにうってつけの商品(しかも原価が安い)と物件を手に入れたと思ったようでした。

つまり、彼なりに「勝ちパターン」だと思ったようなのです。しかし、物事はそう計算通りにうまくいくとは限らないということを、当時の津久井家親子3人、誰もわかっていなかったのです。

 

●オレンジハウスの誕生

いよいよお店がオープンする、そんな数日前のこと。

まず、厳しい(?)修行により両親が身につけた「ゼリーフライ」は、名前がいまいちということで母親の発案で「サラダフライ」という名前で販売することにしました。そして、東京ではサラダフライだけではお客さんのニーズに応えられないだろうと、ホットドッグも売ることにしました。

イートインスペース5席程度とお持ち帰り用のカウンターのあるこじんまりとしたかわいらしい店。お店の名前は「オレンジハウス」に決まりました。

内装が終わった店でサラダフライの施策をつくりはじめてみると、修行に行った先と同じ機械をいれているのに、同じ味がなかなか再現できません。

大きさも小判型でコロッケ程度あるゼリーフライに対し、サラダフライはチキンナゲット程度にしないとうまく揚がってくれませんでした。

ソースはゼリーフライが秘伝のものに対し、さすがにそれを分けてもらうわけにはいかず、サラダフライは市販のソースで食べることになってしまい、最終的には「ソースより塩コショウのほうがうまくね?」ということで味付けも変わり、サラダフライはゼリーフライとはまったく別の食べ物になってしまったのです。

それでもなんとか両親は店のオープンにこぎつけました。親子3人でオレンジハウスを開始。

父親は朝は本業の会社に行き、朝礼だけ済ましてすぐに店にきました。母親は本業の会社には出社せず、自分の持っているお客さまも他の従業員に引き継いで、オレンジハウスに専念しました。

はじめは近隣住民の方も「お?なんかできたぞ??」ということで来店してくれましたが、店はすぐに閑古鳥が鳴きはじめます。

まず、父親があれだけ長年恋い焦がれ想いつづけたゼリーフライ改めサラダフライは見事に売れませんでした。。。それはもう、ゼリーフライの名誉すら傷つけるほどに。。。

近くにテニスコートがあった関係で、ジュースを買いに来るお客さまは比較的いたのですが、そういったお客さまにサラダフライの試食を進めても「ふーん」といった程度のリアクションしかもらうことはできませんでした。そりゃそうですよね、夏のクソ暑い日に揚げ物よこされても(汗)。

ホットドッグは「すごく美味しかったから」とリピートしてくれる人もいてそこそこ評判が良かったのですが、母親が妙なこだわりを見せて高いパンを仕入れていたため、売価を高くせざるを得ないわりには小さくて、男性客からしたら物足りない食べ物になってしまっていたのでした。

また、塩コショウで食べるほうがメインとなったナゾの進化を遂げた「サラダフライ」はビールに合うぞという話になり、父親は生ビールサーバーを店に導入、お酒を売ることを決めました。しかし、こんなツギハギ的な作戦がうまくいくわけはなく、ビールは思ったように売れませんでした。今なら突っ込めます。「ロードサイドでビール出してどうすんじゃい」と。

結局、「ダメにしちゃうのもったいないから」ということでタンクに残って3日目くらいの生ビールは、閉店後の店で夕飯として出た売れ残りのホットドッグとサラダフライとともにすべて私たち親子3人の胃袋の中に見事に吸収されていくこととなってしまったのです。まるで大学の学祭なんかで出店しているヤツらが売り物のはずの店の酒を呑み尽くしてしまうような光景です。

何より一番の大誤算は物件のポテンシャルを見誤ったことでした。

まず、父親が「朝夕に渋滞する」といった目の前の道路は大した渋滞もなく、交通量こそ多いもののみなさんスムーズに店の前を通過されていきます。

渋滞までは行きませんがたまに信号待ちの車が列をなすことがあり、そのときには私が揚げたてのサラダフライを持って車に駆け寄り試食を勧めたりもしましたが、なにせ当時の私はこんな感じの青年だったので怪しさ満点。

車に乗っていたらこんな感じのやつが得体のしれない食べ物をいきなり持って現れるわけですから、もはやホラーです。「食べたらお金を請求されるんじゃないか」という不安をみなさんに与えていたかもしれません。。。改めてここでお詫び申し上げます。

父親の中では店が繁盛するだろうから3人は店員が必要だと思っていたようですが、私が大学の夏休みが終わってひとり暮らしをしていた横浜にそろそろ帰らなければならないというときには、店員は母親ひとりで十分という泣きたくなるような状況になっていました。

結局、私もバイト代を2ヶ月で1万円しか受け取らず、店は私が夏休み明けで横浜に戻ってから1ヶ月程度で閉店することとあいなりました。

 

●良いものさえつくっていれば売れる?ビジネスはそんなに甘くない

そのころ本業の会社では事務所にほとんど現れない父親と母親に社員の不満が集中、店を辞めた後に両親は社員から吊るし上げられるという弱り目にたたり目のような事件も起こりました。

私は抜け殻になった両親を見て、ちょっとだけリアルに、「この人たち自殺とかしないよな」と心配になりました。

こんなできごとが私の商売観みたいなものに大きく影響しています。

中でも一番ショックだったのは、そもそもお客さんが来ないことでした。「おいしいから」と何度か通ってくれる人がいることを考えると、味が原因ではないと思ってはいました。

やはり立地の問題が一番大きかった。「良いものさえつくれば売れる」という考え方は本当に間違っていると思います。

このできごとから、私は大学の卒論のテーマを「小規模飲食店の立地に関する一考察」としたくらいです。

また、ゼミの同期たちが図書館に行ってよくわからないけどテーマに合いそうな文献を漁ってツギハギだらけの卒論をつくる中、私はひとり実地調査をしたほど。

大学の最寄り駅の商店街にいって、居酒屋さんや中華料理屋さんなどに「なんでここに店を出したんですか?」と聞いて回ったのです。中には「スパイじゃないか?」と疑う店主さんもいて、大学の学生証を見せながらインタビューしてまわりました。

その中のひとつのお店の店長さんは、競合が多い商店街でなぜ店をはじめたかについて、「競合が多いからここに出したんだよ」と教えてくれました。

たくさん店があるということは人がそもそもそこに集まりやすい、だからそういった人たちの中でも行く店がまだ決まっていない人の選択肢の中に入ることが重要なんだと。

こうやって自分で調べて気づいたりわかったりしたことは一生忘れることはありませんね。

気合を入れて書いた卒論でしたが、私がゼミの教授にやたらと気に入られていたことで、「うーん、お前のは読まなくても大丈夫だろ」というナゾのお墨付きをいただき、フィードバックをもらうことはその後ありませんでした。悲しい結末。

時は流れ。。。私がサラリーマン時代のことです。

バンドでメジャーデビューするという夢はボチボチいいところまで行ったにもかかわらず断たれ、「こうなったら社長になるしかない」というナゾの目標設定が自分の中でなされます。

「独立したい!」と心から思ったとき、今すぐできることは何かと考え実践したのが「ビジネス書を読む」でした。小説とマンガしか読まなかった私にとってビジネス書を読むというのは革命的でした。

しかし、どんな種類のビジネス書を読めばいいかがわからない。本屋さんの書棚をみていたときに1冊の本が目に飛び込んできました。

人が集まる、だから儲かるこれが「繁盛立地」だ!! -林原安徳 著-

これしかないと思いました。私のビジネス書デビューにふさわしい1冊。

即購入した私は、本を読んで愕然としました。なぜなら、本には「オレンジハウス」と同じような条件の立地には「出店してはいけない!」と書いてあったのです。

そうです。オレンジハウスは飲食店の立地としてふさわしくなかったのです。

まず、オレンジハウスの目の前の道路は大きくカーブしていました。カーブの内側に駐車場を挟んでオレンジハウスがありました。これは、ロードサイドの出店条件として避けるべき条件だったのです。

なぜなら、カーブの内側では、ドライバーからして店舗を認識しづらいからです。そして交通量がそこそこ多いわりには車が流れていましたから、反対車線の車はこちら側に入りづらい。

ナゾの揚げ物、食べ足りないホットドッグ、ロードサイドでの生ビール、認識しづらく入りづらい店舗。

勝ちパターンどころか負けるための条件のほうがよっぽど多く揃っていたわけです。

 

●経営者が持つ錯覚(経営者あるある)

人によっては飲食店は立地が8割といいます。ドトールコーヒーやマクドナルドは飲食店ではなく「不動産業だ」と言われるほど。

洋麺屋五右衛門を運営する日本レストランシステムの代表は、「飲食業態の寿命はどんどん短くなっている。だからこそ立地はより重要で、良い立地の店舗さえ抑えれば数年おきで業態チェンジできる。」と以前出演したテレビで言っていました。

私の先輩経営者で、歯科技工所を30年営んでいる方は、歯医者さんも先生の腕ではなく立地で勝負が決まると言っていました。

私も素人ながら飲食店は立地が最重要だと思います。それでもへんぴな場所でうまくいっている飲食店があるのはなぜでしょうか。

その答えは、おそらく「ブランディング」です。

ブランディングは「選ばれるための施策」。「へんぴな場所でも選ばれるとしたらどうしたら良いか?」という質問に対してきちんとした回答を用意できた店がうまくいくのだと思います。

間違っても「美味しいものさえつくればいい」わけではありません。「美味しいものさえ・・・」はある意味、思考停止状態です。

場所が悪くても選ばれ、記憶に残り、再来店してもらう、そのための施策(ブランディング)としてどんなことをすればよいのか。

もし私が今からへんぴな場所でしか飲食店をはじめられない、という条件付きで飲食店をはじめるとしたら、私であれば徹底的に現場を見ます。実地調査です。

へんぴな場所なのにうまくいっている店、へんぴな場所でやはりうまくいかなかった店、そういった店が何をしたのか(しなかったのか)、何を売っていたのか、どんな表現を使っていたのか、こんなことを調べると思います。そういったエリアでも選ばれる方法はないのか。そんなことを実地調査をしながら考えるわけです。

それでも、つまりブランディングで立地の悪さをカバーする方法があるとしても、飲食店をうまくいかせる要因の多くは立地にかかっていると私は思います。だから、へんぴな場所は実地調査の結果、「やらない」という判断も十分にあります。

もしこれからなんらかの店を出店する計画がある場合は、ぜひ立地の検討のウェイトを重くしてほしいです。

また、両親のオレンジハウス失敗にはもうひとつ重要な示唆が含まれています。それは

経営者は何かしらの会社、ビジネスがそこそこ上手くいったら、他の事業、商品でも上手くいくという錯覚を持ちがち

だということです。新規事業が上手くいく確率の低さがそれを物語っていると思います。私自身もビズアップで余計なことをしようとして失敗した経験があります。おそらくこれは「経営者あるある」ではないでしょうか。

さて、ホットドッグとサラダフライで大きな挫折を味わったはずの両親ですが、なぜかその後の人生でもう一度だけ飲食店を開始します。

 

●エピローグ

今度はどんな立地だったのか。

それは、ベトナムはハノイの日本大使館前。。。

30年間つづけた本業の会社を売却した後、もう一旗揚げたいと両親はベトナムに移住。やはり飲食店に対するリベンジの気持ちもあったのでしょう。ハノイで日本料理店(居酒屋)をはじめます。

今度は儲かったみたいです。でもふたりして体の調子が悪くなってしまい、1年半で店を売却して帰国。寄る年波には勝てなかった。せつない話ではありますが。。。

なお、不思議な話ですが、弊社のロゴディレクター林は、ビズアップに入る前に勤めていた会社のときにハノイに出張に行き、偶然にも両親の店に食事に行ったそうです。すごい縁。。。

「サラダフライ」は出てこなかったようですが(笑)

 

今回はここまでです!

津久井

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