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5月も佳境です。
そんな今日は給料日という会社も多いのではないでしょうか。我々ビズアップももれなく給料日です。
1ヶ月分のシノギが入った今夜は呑みに行っちゃおう。とはいえ毎日呑み歩いているんですけどね。
昨日も家に酔っ払って帰って、いびきがうるさすぎるということで、ヨメに朝ブチギレられました。何でも夜中に「死ね!死ね!」といいながらクッションを私にぶつけまくっていたそうです。私は一切目覚めませんでしたけども。
それにしても「死ね!」ってどういうことよ(笑)。ヨメには別の部屋を借りてくれとまで言われたことがあります(汗)。
さて、本日のコロコロニュース。久しぶりにちょっと多いですけど。
盛り上がってまいりました
さて、いまだに「お注射は安全だ〜」とか「死亡との因果関係は証明されていない〜」とかいう人がいますが、私はいいたい。
「統計学なめてんのか?」
統計学というのは「そこに現れた結果がなぜそうなるかはわからんけど、事実としてそうなっている」から「原因を探ろう」というものです。
お注射推進派が言っていたのは、「たしかに数字上は現れているけど、論文とかで証明されていないから事実ではない」みたいな話で、これは統計学の意味や意義を正面から否定するアホな考え方なわけです。
今回の一連の騒動でいえば、「超過死亡が明らかに増えている」という事実(統計)から、「お注射ではないか?」という原因を探っているわけです。
だって、大地震が起きたときや戦争が起きたときよりも人が余計に(予測以上に)死んでいるんですよ?たまたまなんてありえない。
すべての論文は、こういった統計データなどや実験結果などの「観察」から原因を追求していっているわけです。
つまり「観察」→「論文」が正しい順序なわけです。それなのに推進派はお注射が出回りはじめたころに「論文出せ」の一点張りだったわけですよね。
これは、どうしようもないバカか金もらってるかのどちらかしかないわけです。
ホリエモンとかひろゆきとかDAIGOとかは、統計学の概念や意義がわからないほどのバカじゃないですから、まあ金もらったか命狙われたかその両方かというところだと推測。
今回、世界で初めて人間に使用されたお注射ですからね。論文なんてあるわけないじゃないですか。そして観察が進んだ結果、「やっぱりやばかった」という論文が出まくっているわけです。
というわけで、本日は「観察」についてお話したいと思います(強引な流れ)。
私は「観察」こそ史上最強の勉強方法なのではないかと思っています。
ビジネス書やセミナーが役に立たないとはまったく思いませんが、ビジネス書を読まなくてもセミナーに出なくても、「観察」によりスキルや能力を磨くことができると考えています。
もちろんビジネス書は読んだほうがいいし、セミナーにも参加したほうがいい。でも「観察」ができるかどうかでそれらの効果も大きな差があると考えます。
「観察」の対象は統計学でいえばデータですし、科学であれば実験結果です。
ではビジネスで言えば?
●「観察」するとはこういうこと
このコラムで何度も登場する私のデザインの師匠、伊吹卓先生。先生は観察のプロでした。
伊吹先生は子どものころ、内蔵、特に胃が非常に悪く、それほど長生きできないとすら言われたそうです。さらに鼻も悪く、食べ物の匂いなどもあまり感じないということでした。
そんな伊吹先生は「見る力」だけは異様に強かったようです。目が不自由な方は聴力が異様に発達する、なんていう話を聞いたことがありますが、もしかしたら伊吹先生の場合は「目の力」が発達したのかもしれません。
伊吹先生は小学生の時に近所の山で蜘蛛の新種を発見し、新聞などで取り上げられたことがあるそうです。先生の「見る力」を裏づけるようなエピソード。ちなみにその記事を見た東大の教授から、ぜひ東大に入ってほしいというラブコールもあったそうです。
他にも、伊吹先生が「色」について研究をしていたときの話も面白いです。
先生は、「赤」という色は世界共通で、ある意味神格化されていたり重要な意味を持つ、もっとも使われている色だと考えました。なぜなら、「赤」は「太陽」を表すから。太陽は人間にとってなくてはならないものです。神様になっている宗教もあるくらいです(日本も神道は「天照大御神」ですね)。
このような理由から、「赤」は世界で最も重要でポジティブな意味を持ち、もっとも使われている色だと仮説を立てたのです。
この仮設を検証するのに、伊吹先生は「国旗」に着目します。国のシンボルとなる国旗、赤が世界中で重要な意味を持つ色だとしたら、どの国の国旗にも必ず赤が使われるはずだと考えました。
伊吹先生は各国の国旗を調べはじめます。結果、国旗に赤を使用していない国は思ったよりも多いことがわかり、自分の仮説が外れたとショックを受けたそうなんです。ところがそこから伊吹先生が何をしたか。
先生は地球儀とピンを用意して、国旗に赤を使用していない国を見つけて地球儀にピンを立てていったのです。
するとどうでしょう。赤を使用していない国には、エリア的に明らかに偏りがあることがわかりました。ピンが多かったエリアは、赤道に近い国と北極、南極に近い国だったのです。
赤道に近い国は太陽が熱すぎて人が死ぬ場合すらある。なので赤は決してポジティブな色ではない。そして、北極や南極に近い国々(北欧とか)は、太陽は赤く見えない(青白く見える)。
因果関係を察するに、これらが「赤」の意味合いがこのエリアの国々だけ違う理由だということがわかったのです。
私はこのエピソードが大好きです。伊吹先生はこの「見て、感じて、理解したり発見する力」を「着眼力」と名づけています。これをビジネスに活用するべきだと。
これこそ「伊吹流」。なので、私はお客さまにコンサルティングの仕事をいただいた際は、お客さまの話を聞くだけではなく必ず現場を見るようにしています。
以前、沖縄のお弁当屋さんでブランディングのコンサルをしたときのことです。
お客さまのご要望は「リブランディングしたい」でした。もっと平たく言えば「おしゃれにしたい」でした。
もしもお客さまの話を聞くだけですますなら、「じゃあやりましょう」となって「どうすればおしゃれになるか?」というコンサル内容になったと思います。
しかし、私のコンサルは「おしゃれにしないでください、やりたいなら別のブランドを立ち上げてください」という回答で終了することとなります。
なぜなら、現場が物語っていたから。かんたんに言えば、観察の結果そのお弁当屋さんに来るお客さまは「おしゃれな店」よりも「ガッツリ食べられてコスパ最強の店」を求めていたからです。
だって、来るお客さまの実に90%が、ガテン系の人か女性でもかなりガッツリ食べたい人(ストレートに言わせてもらうと太った女性です)でしたから。
そういう「ガッツリ食べられてコスパ最強の店」の「らしさ」を損なうデザインにしたら、それはいくらおしゃれだとしてもダメです。伊吹先生のノウハウ「メリコの法則」の「リ」が損なわれてしまいます。
メリコの「リ」は「理解できる」の頭文字で、「何を伝えたいかが理解できる」という意味もあるし「〜〜っぽい」「〜〜らしい」という意味もあります。
「ガッツリ食べられてコスパ最強」の「おしゃれな店」と聞いたらどう思いますか?「らしさ」とか「ぽさ」が伝わらないですよね。そんなおしゃれな店、ガテン系の人が作業着のままお昼ご飯を買いに入れるわけがない。
人はこういうことに違和感を持ったら商品を購入してくれないか、したとしてもその商品の評価を無意識で下げてしまいます。
私ははっきり伝えました。「今いるお客さんはいなくなります」と。「それでもよければリブランディングしてください」と。そして前述のとおり「別ブランドを立ち上げたほうがいい」とアドバイスさせていただきました。
これらは私が頭脳明晰なわけではなく、ただ単に「観察」したからできたアドバイスでした。今はどうやら元のブランドも新しく立ち上げたブランドもどちらもうまく行っているようですね。
ちなみに弊社ごとで恐縮ですが、3月末でNo2が辞めたんですね。そのNo2が見ていた部署は正直業績が芳しくなく。。。4月頭から私がその部署のトップとなり動きはじめたのですが、今かなり業績好調です。
やったのは、「現場を観察する」ことです。日々の業務の内容を観察することもそうですし、お客さまと話しているときの営業マンの観察をしたり、観察ポイントはいろいろです。
観察すると打ち手がわかります。スタッフがどこでつまづいているのかや、何に不満を持っているのか、何を理解していないかなど。それらをひとつずつ解消していくだけで業績は上がるわけです。
ちなみに今や一大メガネブランドになった「OWNDAYS(オンデーズ)」の田中社長はその著書「破天荒フェニックス」の中で「まずはじめに現場の店舗をすべて回って見た」と語っています。
田中社長はもともとデザイン会社の社長で、メガネブランド「OWNDAYS」を買うつもりはありませんでした。むしろ売買の仲介に入ってお小遣いを稼ごうくらいだったらしいのです。
しかし、誰も買ってくれない。そりゃそうですよね。負債が20億くらい(たしか)ある赤字企業だったそうですから。
結局、なぜか勢いでOWNDAYSを買ってしまった田中社長。まずはじめに幹部陣で全国行脚の店舗めぐりをしたそうです。お金がありませんから、レンタカーを借りて。。。やはりそこには「観察」があったわけです。
●なぜ観察が重要なのか?―「知っている」と「験っている」―
小学生のころ、絵日記の宿題が出たことがあります。私は外に出て、アリにチーズをあげて観察していました。なんとなくやってみようと思っただけだったのですが、見てみると面白い。
アリがチーズを食べるということは当然知っていましたし、どんな行動をするかも理科で学んでいましたが、自分の目で見ると教科書に書いてあることでも新鮮で何か新しい発見をしたように感じました。
その絵日記は先生にも褒めてもらうことができ、うれしかったことをよく覚えています。そんな原体験が私を観察好きにさせたのかもしれません。この体験をしたことは今でも非常に幸運だったと感じています。
大学や大学院の研究室、さまざまな研究所、一部の企業などでは、日々実験が行われています。なぜ実験を行うのか。それは「観察するため」です。冒頭の「統計学」も「データの観察」です。
このようなお話をすると、とても理系チックな話に聞こえるかもしれません。しかし、何も理系に限った話ではありません。観察はもっともプリミティブ(原始的)で、もっとも偉大な勉強方法だと私は考えています。
ところが、日本では研究職でもない限り日本人が勉強で「観察」を行うことはほとんどありません。学生でも理科の授業くらいしかありませんし、大人になるとなおさら何かを「観察」する機会は減るかもしれません。
いや、本当はどんなものでも観察の対象になり得ます。絵を描くのだって観察が必要ですし、マーケティングをするのだって観察(市場調査など)が必要です。
私は大学の卒論を書くときも、多くの同期が図書館で「それらしい本」を数冊見つけてツギハギだらけの「それっぽい文章」を書く中、ひとり実地調査をしました。飲食店の立地について、大学の近くの飲食店数店にインタビューに行ったわけです。「なぜここに店を出したんですか?」と。
これも「観察」です。何も理系の話だけではないのです。私は何度でも言いたい。「観察こそが真の勉強方法だ」と。
もしも学校で習ったことが正解で、学校で行うような勉強こそが正しい勉強だとしたら、はっきりいってビズアップは日本一のロゴ会社にはなれていません。なぜなら、私は美大卒でも美術系の専門学校を出たわけでもないからです。それどころか、中学のときの美術の成績は「2」でした。
余談ですが、もっといえば、私にはバンドでデビューしかけた経験がありますが、中学のときの音楽の成績は「2×」です。学校の勉強って何なんでしょう?
話を元に戻すと、ビズアップは美術系の学校を出た社員のほうが圧倒的に少ないです。それでもロゴに関しては日本のどの会社にも負けないノウハウを持っていると自負しています。依頼数も日本一です。
なぜ日本一になれたか、なぜ自社独自のロゴに関するノウハウを発見できたか。もうおわかりだと思いますが、徹底的に観察してきたからです。
前述のとおり日本の(日本人の)勉強は、「教科書に載っていることを覚える」ことに主眼が置かれています。これは非常に残念なことであり、日本人の知的レベルを下げる危機的なことだと考えます。
なぜなら「答えは誰かが持っている」「答えはどこかに載っている」と錯覚するからです。「答えを自分で探す」という意識を、日本人は徹底的に排除されてしまいました。
その結果が今の日本です。国やテレビが「注射を打て」と言えばそれが「教科書」になります。「厚労省のデータです」といえば、何も疑いを持たずそれが正しいと考えます。
多くの日本人にとって、答えは与えられるものであって自分で見つけるものではないのです。仕事をしていても答えをカンタンに求めてくる社員に危機感を感じたことがある経営者は多いはずです。
こんなマインドばかりの人間でできた国、果たして経済的にも個人的にも幸せな発展を遂げられるでしょうか?ちょっと考えればわかりますよね。私はおぞましくて仕方ありません。
「観察」から得られる情報は、まごうことなき「一次情報」です。しかし、「与えられた答え」はほとんどが二次情報かそれ以上。教科書ですら実はそうですよね。
伝言ゲームの途中で間違っていようと、誰かが意図的に歪曲していようと、観察眼(着眼力)がない日本人にとってはそれが「正解」となってしまうわけです。
私は「しっている」を2つの文字で使い分けるようにしています。「知っている」と「験っている」です。後者は私が考えた完全なる当て字です。
この2つはどう使い分けているかというと、人や本、ネットから教わることであとからでも身に着けられるスキルや知識が「知っている」で、体験的に身につき「能力」となる経験をすることが「験っている」となります。
たとえば、サッカーをテレビで見たことがあるだけの人と、実際にやったことがある人とでは「しっている」ことの内容や深さが違います。これはイメージつきますよね。
何がいいたいかというと、教科書で習うようなことは「知っている」であり、「観察」で手に入れた体験や知見は「験っている」だということです。教科書は二次情報で観察は一次情報ともいいかえられます。
アリの行動は理科で学んで「知って」いたのに、自分の目で見ると新鮮で何か新しい発見をしたように感じたのは、はじめて「験った」からです。
これらはビジネスでもまったく同じです。「観察」を通して「験っている」ことのほうが、習って「知っている」ことよりもはるかに価値が高い。
なぜ「観察」が重要か、おわかりいただけたと思います。また、私が伊吹先生を敬愛する理由もおわかりいただけたのではないでしょうか。
はじめのうちは、観察の結果、答えが合っているか合っていないかはさほど重要でありません。自分で答えを探す行動を起こすことこそが目的です。
●経営者が特に「観察」すべき3つとは?
日本人は「観察」というプリミティブで偉大な勉強方法をしなくなってしまった、とお話しました。そんな中でも「着眼力」を使って観察しつづけている人たちもいます。
それが「経営者」です。すべての経営者がそうとは言いませんが、おそらく観察眼がなければビジネスを発展させることはできません。
「ビジネス書を読んで勉強している」という人がいますが、前述したように、私は前提条件に「観察眼があるかどうか」が問われると思います。
観察眼がない人がビジネス書を読んでも、その答えが正解と思い込んでしまいうまくいかないということが往々にしてあると思います。
しかし、観察眼がある人がビジネス書を読むとどうなるか。
本を読むことで過去の自分の体験(「験っている」こと)をとおして「観察」と同じ効果を得られるのだと思います。また、書いてある内容が「本当に自分や自社にとって有効か」という視点も持ち合わせて読むことができると考えます。
これは、教科書に書いてあることがすべて正解だと思い込んでいる人にとっては思った以上に難しい本の読み方だと思います。
何かの仕事を外注する際にも「観察眼」は必要です。
多くの企業が「自社では持ち合わせていないノウハウを持っているからヨソに外注する」と考えていると思いますが、これは危険です。
なぜなら、そのノウハウが本当に自社に適しているかを検証していないからです。外注先はクライアントに適しているかなど考えず、「教科書=その会社のノウハウ」のとおりにしか行動してくれません。
たとえば、私の事例だと、ネット広告運用代行の会社に広告運用を外注するのに、担当と何度話し合ったかわかりません。せつせつとうちのビジネスや客層について刷り込み刷り込み刷り込みしまくりました(3回繰り返したくなるくらい)。
こうしないとどうなるか。担当はその運用会社のノウハウが「絶対に正しい」と思い込み、ビズアップに有効かを検証することなく運用されてしまうわけです。おそらく失敗するでしょう。
広告運用を外注する前まで、私は自社でネット広告を運用しており、当時はネット広告の勉強と実践の繰り返しをめちゃくちゃしていました。
つまり、ネット広告について「験っていた」わけです。「知って」いるだけで任せていたら「失敗だった、うちにはネット広告はあわないんだな」で終わりです。
「観察眼」を持たずに外注をして失敗する例は他にもあります。
とある新進気鋭の人材マネジメント会社(おそらく多くの方がご存知の会社)のノウハウに大いに触発されてコンサルティングを導入し、その結果社内でハレーションを起こしまくり社員が大量離職するという事例がいくつも出ています(そうなってしまった会社を何社も知っています)。
こういう失敗は、自分で答えを探すのではなく、その外注先がきっと答えを持ってくれているだろうと他人任せになっているときに起こります。
つまり、観察眼がなければ自社に適した外注先を見つけることはできないということです。外注先のノウハウに頼るのではなく、自社で発見したノウハウを実行できる外注先を見つけるべきなのです。考え方が逆なのです。
では、我々ビジネスマンは何を観察すればよいのでしょうか。私は以下の3つだと考えます。
- お客さま
- 社 員
- 数 字
お客さまを観察することで、なぜ自社が選ばれているのかがわかります。また、どんな点に不満を持たれているかもわかります。
選ばれる理由や不満点は、その会社ごとに違います。ビジネス書(教科書)には載っていません。一次情報を取りに行かなくてはいけません。
また、社員を観察する理由はいくつかありますが、私は「仕組み化」のためにこそ必要だと考えています。
社員を監視しろとか、もしくはエンゲージメントを高めるためにフォローできるように、とかではありません。もちろんそれも重要かもしれませんが、仕組み化し生産性を高め利益を増やして給料に還元したほうが、フォローされるより社員は喜ぶと思います。
そして、数字です。数字には客観的な情報がたくさん含まれています。数字を観察することで、どこがうまくいっているか、どこがボトルネックになっているか、どこにリソースを集中すべきかなどがわかります。
ただ、これは因果関係を探るのがちょっとむずかしいです。それこそ観察眼がより必要かもしれません。
そういう意味では「注射」の統計は因果関係がめっちゃわかりやすいというか、「超過死亡の原因はもうそれ以外にないやん」という感じです。
ビジネスの数字の観察は難しいといいましたが、しかしながら不思議なもので、「因果関係がわからなくても数字を観察しているだけで結果が良くなる」というケースが往々にしてあります。
たとえばレコーディングダイエットなどはその最たるものでしょう。なぜそうなるのかの因果関係はたしかにいまいちわかりませんが、でも実際に痩せる人が多いという事実があります。
なので、私は定期コンサルの案件では、必ず「数字の定点観測」をお客さまに行ってもらっています。
「自社の特徴」や「自社ならではのノウハウ」などは、これらの観察から生まれます。観察を十分にすれば、そういったものが他社と同じになるはずはないのです。
他社と同じような特徴やノウハウしか持ち合わせていないとしたら、それは観察が足りないといえるでしょう。
さて、「観察こそ最強の勉強法」というお話でしたがいかがでしたでしょうか。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール
-
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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