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暑いですね。シンプルに暑い。まだ夏ではないですよね?でも、もういいや、早く秋にならないかな(笑)。
いえね、ワタクシ、暑いのあんまり好きじゃないんですよね。どちらかというと冬のほうが好きかも。もちろん夏もステキな季節だとは思いますけどね。
ワタクシ、少年サッカーのコーチをかれこれ9年くらいやっているのですが、夏はもうね、イヤになっちゃう。
子どもたちの熱中症が心配だし、自分たちも気をつけないとだし。。。あと日焼けですね。日焼け止めが気休め程度にしかなりませんからね。だいたいゴルフ焼けだと思われるし。
知ってました?最近だと「雨で試合中止」の他に「暑すぎて試合中止」になるパターンもあるんですよ。サッカー協会からやっちゃダメと言われるわけです。
ちなみに私は「陰謀論者」なんで(笑)、地球温暖化はウソだと思ってます。
だって、南国(国内、海外両方)に出張に行ったときよりも東京のほうが暑いとか意味わからないですもん。東京が暑いのってただのヒートアイランド現象でしょ。最近言われなくなっちゃったけど。。。
まあそれはいいとして、本日のお話です。
本日は「所感」でもあるんですが、ちょっとしたマネジメント的なお話としてもお伝えできるかなと考えています。
デザインやブランディングの話ではありません。悪しからず。
●地球人に扮装した「デモデモ星人」
最近、「恥」をかいてますか?
いきなり結論めいたことをいいますが、人の成長に「恥」は欠かせないのではないかと思う出来事がありました。今日はその考察をしたいんですね。
ところで、御社にも「デモデモ星人」っていませんか?
何か指導やアドバイスをしようとしても、必ず「でも・・・」という人。私はこういった人たちのことを「デモデモ星人」と呼んでいます。
上記の情報を送ったところChatGPTが出してきた画像
ビズアップにも、今も「デモデモ星人かも」と疑わしい人がいます。過去にも、弊社のNo2板橋に「『でも』禁止!!」と怒られるくらいのデモデモ星人の女性社員がいました。
この「デモデモ星人」、地球人に紛れているわけですが(笑)、中には地球人と区別がつかないデモデモ星人もいるんですね。
それはどんなデモデモ星人かというと、指導やアドバイスに対しては「わかりました」というくせに、頭の中で「でも」を唱えているタイプです。
「でもさ、おれのせいじゃないし」
「でもさ、この上司だって前に同じ失敗したじゃん」
「でもさ、他にもやることがあったんだから仕方ないのに」
といった具合に。このタイプは本当に厄介。「デモデモ星人」としての特徴は表になかなか出さず、頭の中だけで出してますから。見た目は地球人の宇宙人みたいなもんなわけです(笑)。
しかし、なんで彼らは「でも」と言ってしまうのでしょうか?私はこれにある一定の見解を持っています。
彼らは自尊心(自己肯定感)が低いのです。
私は「似て非なる言葉」というのをいろいろと気づいたときにメモっています。以前も「能力とスキル」について、その違いをこのコラムでお話しました。
今日ご紹介するのは、「自尊心とプライド」です。
この言葉も似ていますよね。というか、おそらく英語の辞書を引けば「Pride」=「自尊心」と出るでしょう。でも、私は使い分けています。
「私は使い分けています」と偉そうにいいましたが、多くの人が実は微妙に使い分けていると思います。
だって、「自尊心」という言葉はポジティブな印象がありますが、「あの人はプライドが高い」と言った途端にネガティブな印象になりますよね。
「自尊心が強い」といえば、メンタルがタフなイメージがありますが、「プライドが高い」というと、ちょっと問題あるヤツっぽかったりします。なぜこういった使い分けがされるのか?
自尊心は「愛」が育みます。いきなりどうしたんだと思われたかもしれません(笑)。でもそうなんです。自尊心は「愛」が足りていると育まれるものです。
プライドはまったく逆。「愛」が足りないと育ってしまうものなんです。
- 愛が十分 → 自尊心が強くなる
- 愛が不十分 → プライドが高くなる
では、「プライドの正体」とは?
それは、「自尊心を守るための鎧」です。自尊心を傷つけられそうになったときに、プライドという鎧が守ろうとするわけです。
「自尊心は「愛」が育みます」と言いましたが、愛が十分足りている人は自尊心が強くなります。
したがって、プライドという鎧をそれほど厚くする必要はありません。自尊心を傷つけられれそうになる何かがあっても、そもそも自尊心が強いので、多少傷ついても壊されることがないからです。
逆に愛が足りていない人は自尊心が弱いため、攻撃されると自尊心が崩壊してしまうおそれがあり、それによりプライドという鎧を厚くして自尊心が崩壊しないように守る必要があるというわけです。
これって、見たことがない人には「??」ですが、ヱヴァンゲリヲンの「ATフィールド」というものとまったく同じだと思いませんか?
「デモデモ星人」は、指導やアドバイスを「自尊心を攻撃してくるもの」と受け取ります。自尊心を守るための鎧としてプライドが高くなり、「でも・・・」という「ATフィールド」を発動するわけです。
「デモデモ星人」は「使徒」なのか?(笑)
●おれはお前たちに恥をかかせている
サッカーのコーチの話なんですけどね、先週、象徴的なことがありました。
ちなみに、以前もサッカーのコーチでの出来事をコラムにしたところ、めちゃくちゃ好評をいただきました。
その時のざっくりとした内容が「勝てるコーチと勝てないコーチの違い」でした。
本文はこちら:【第751回】目標達成するのにもっとも重要な能力は「負けず嫌い」なのではないかという話
この回では、前述の「能力とスキル」についても語っています。
また、このコラムの内容をAIが要約してしゃべってくれる音声ファイルもあわせてアップしますね。
クリックすると音声が流れます
このときの話にも少し通じるものがあるんですけども、少し長くなるかもしれませんが聞いてください。
私は今、少年サッカーのサブコーチとして6年生を見ています。4年前に自分の子どもが卒団したあと、この子たちが3年生のときにコーチとして着任しました。
この子たちが4年生になったとき、チームである程度技術レベルが高い子たちは、ひとつ上の学年の5年生のチームに編入されました。よりレベルの高いところで学ばせるためです。
その5年生を指導していたのは、Mコーチというヘッドコーチ。先ほどご紹介した過去のコラムにも「Mコーチ」という人が出てきますが、この人とは別人です。区別するために
- 以前のコラムの「Mコーチ」は「M本コーチ」
- 今回のコラムの「Mコーチ」は「M田コーチ」
と表記します。
「M本コーチ」は「ダメなコーチ」の代表例として以前のコラムに書きましたが、「M田コーチ」はその真逆で、結果を残してきた名コーチです。
そして、M田コーチがもともと見ていた学年は今年の春卒団し中学生となり、私がもともと見ていた学年がこの春6年生となりました。
この6年生、つまり幼稚園生から小学6年生までいる我々のクラブのトップチームを、昨年に引きつづき今年もM田コーチが見ることになったんですね。
昨年もたまに5年6年合同練習などを行っていたのでM田コーチの指導方針はある程度わかっていましたが、私自身、正式にM田コーチのサブコーチとして活動しはじめて、学ぶことが本当に多いです。
サッカーの指導に関してはもちろんのこと、サッカーに限らず指導者として、リーダーとして、どう人に向き合うかなどを学ばせてもらっています。
そんなM田コーチの指導は、先ほど紹介した過去のコラムにあるように「厳しいコーチ」としての指導です。
特にキャプテンや中心となる選手にはとても厳しいです。キャプテンはよく泣かされています。
対して、スタメン起用されず、公式戦(=勝たなくてはいけない試合)になるといつも出場機会すらほぼない選手4人に対しては、M田コーチはどちらかというと誉めて伸ばすイメージがありました。
ところが先週の土曜日、練習試合が終わったあとに、この4人に対してM田コーチは厳しい声かけをしました。
「おまえらこのままでいいのか?レギュラーになりたくないのか?悔しくないのか?」
「声を出すことくらいはできるだろ!声を出すのにボールを扱う技術はいらないんだから!なんでもっと声を出さないんだ?気持ちで負けているんじゃないのか?」
彼らは言われっぱなしでした。見た目も怖いし声も大きいM田コーチに小学生が言い返せるわけもありません。もちろん、サッカーに関しては彼らも彼らなりにはがんばっているつもりでしょう。
その日の夕方、決起集会(呑み会)が行われました。最終学年でこれから最後の大会(全日本予選)に挑むということから、チーム一丸になることが目的です。コーチ、保護者、選手の多くが参加しました。
そこでM田コーチが選手のみんなに言った言葉が、次のものでした。
「おれはお前たちに恥をかかせている」
M田コーチが他の選手の前でも保護者の前でも叱る意図は、恥をかかせるためだというのです。
今の世の中、会社でも部下を叱るときは個室に入って他の人に見られないように、みたいな風潮がありますが、それと真逆です。ちなみに私もM田コーチ派です。
対して、個人を尊重して、たしなめるときはみんなの前ではなく離れたところで個別に、とやっていたM本コーチ。M本コーチが陣頭指揮を取っていた代(私の次男の代)は本当に弱かったです。
M田コーチは意地悪でそんなことをしているわけではもちろんありません。
M田コーチはサッカーに関してエリートといって差し支えない選手でした。神奈川県で優勝したり、神奈川県選抜に選ばれたり。
県選抜ってめちゃくちゃすごいです。地域選抜が何個も何個もあって、そこからさらに18人しか選ばれない。ましてやレベルが超高い神奈川県ですからね。高校のときは全国高校サッカー選手権(野球でいったら甲子園)にも出場したらしい。
そしてうちのチームに来る前はクラブチームのコーチとして、つまりプロのサッカーコーチとして子どもたちを指導していたようです。
はたから見たらサッカーエリートのM田コーチ、実は自分もさんざん恥をかいてきたと、過去のことをおもむろに話しはじめました。
神奈川県選抜では18人中18番目の選手で、試合の日にひとりだけ帰らされたこともある。出場機会にも恵まれない。レベルの高いところに行けば行っただけかく恥があった。
でも、その恥があったからおれは成長してきた。恥をかくから成長できるんだ。それはきっと、サッカーのプロにならなくったっておとなになったらきっと役立つはずなんだ、M田コーチはそう語ったんですね。
ここも私は個人的に激しく同意しました。
そして、レギュラーではない4人に言いました。「今日おれは、珍しくお前ら4人にも恥をかかせた」と。「そこからどう成長する?」と。
一通り話し終わったとき、仕切っていた保護者の方が言いました。「せっかくだから子どもたちにも誰か決意を話してもらいましょうか!」
場内静まり返ります。誰もが大人たちとは目を合わせないようになんとなく目線を下げています。
そんな中、手を上げた子がひとり。それは、レギュラーではない4人のうちのひとりでした。しかもその中でももっとも声を出していないとM田コーチに言われていた子だったんです。
もうこの時点で私はちょっと泣きそうになってます。大人だらけの場所で、全員の目線を一身に受けながら、何を言うべきかの正解がない話をしなければならないって、子どもにとってはものすごい怖いことだと思うんですね。
でも、一番に恥をかきにいったんです。はっきりいって話す内容なんてどうでもいいと思いました。今まさに立ち上がって話しているその姿がこそが「成長」。成長を画(え)で表したらこういうことなんじゃないかと思うほどでした。
そこから全員がひとりずつ決意を語っていきました。うまく話せる子は決して多くありませんでしたが、みんな一様にしっかりと恥をかくことができたのではないかと思います。
その翌日、日曜日のことです。公式戦&フレンドリーマッチが組まれていました。そこでびっくりすることがおきます。
公式戦ではなくフレンドリーマッチではありましたが、レギュラーではない4人のうち2人が2点ずつゴールを決めたのです。
これはどれくらいすごいことかというと、彼らが点を取ったところを私はおそらく半年以上見ていません。もっとかも。
それが、お互いに競い合い、1日で2点ずつ取るのは、個人的には奇跡に近いです。点を取っただけでなく、「そんなプレイもできたのか!!」「めちゃくちゃいい動きしてるじゃん!!」みたいなことばかりで、コーチ陣全員がここでもまた「成長」を目の当たりにしたんですね。
もちろん残りの2人も、点を取るポジションではなかったですが、普段よりも気持ちが乗ったプレイをしていたと思います。
この瞬間があるから、サッカーのコーチって辞められない(今年の6年生とともに辞めようと思ってますけども笑)。
さて、ここで考えたいことがあります。
彼らは勇気を出した呑み会から一晩寝ただけでサッカーがうまくなったのでしょうか?
もちろんそんなことはありません。じゃあ、何が違ったのか。やっぱり気持ちなんですよね(私はこれを「根性論」で片付けるつもりはないのですが、ここで語ると長くなるので割愛します)。
もうね、結果が物語っていますよね。気持ちが変わっただけで結果(試合でのゴールや動き)が変わるわけですから。
そしてもうひとつポイントとして加えるなら、「恥ずかしさを乗り越えられるか、にスキルはいらない」ということなんです。スキルがなくても気持ちがあれば乗り越えられるし、逆にスキルでは乗り越えたことにならないんです。
2日連続で子どもの圧倒的な成長を目の当たりにして、やっぱり子どもってすげえ、そしてM田コーチってすげえ、と思いました。
ここで、今年の春からチームに編入してきたRくんの話もしておきましょう。
Rくんは、自身の転校や今までいたチームのメンバーたちが中学受験で抜けていくなどさまざまな事情で、この6年生の春から我々のサッカーチームに編入してきました。小学校は他の子たちと違います。
彼はもともと世田谷区のトレセン(選抜)に選ばれるくらい、技術を持っていました。しかもイケメンで礼儀正しく、レフティーという、女の子にモテる要素しかないような好青年(好少年?)。
しかし、M田コーチは彼のプレーやメンタルの弱点をはじめから見抜いていました。
たしかにボールを扱う技術はうまいのに、彼の動きは非常によろしくないものでした。なので結果も出ませんでした。ゴールを奪えないだけでなく、ボールを失うシーンが多かったり、ディフェンス面でもピンチを招くことが多々ありました。
そして、それが原因でM田コーチに何度も恥をかかされるRくん。スタメン起用から外されたことも一度や二度ではありません。M田コーチにはもちろんひと言も言い返せず、頷いているのかうつむいているのか、そんな様子をいつも見せていました。
今までいたチームやトレセンでは、おそらくチヤホヤされたのではないかと思います。一見うまそうですし、性格も良さそうですし。それが、このチームでは怒られる。結果も出せていない。スタメンからも外される。世田谷区選抜ですからね、相当悔しいはずです。
この悔しさが自分に向くのか人のせいにするのかで、その人間の成長が決まるのですが。。。
ある時、あまりに見るに見かねて、私はRくんにM田コーチが言っていることをもっと時間をかけて噛み砕いて伝えようと試みました。
すると、意外なRくんの一面がわかったのです。
Rくんは私のアドバイスに対して、ほぼすべて「でも・・・」と切り替えしてきたのです(しかも食い気味に)。
そうです。彼はデモデモ星人だったのです。
しかも、M田コーチの前では地球人に扮装するのがうまいタイプの、わかったふりをして心のなかで「でも」を唱えるタイプのデモデモ星人。私の前で正体を表したのです。
「なるほど、こりゃ伸びんわ」。これが私のそのときの率直な感想でした。
そんなRくん、先日の土曜日の練習試合でもM田コーチに恥をかかされます。そして夕方の決起呑み会。選手一人ひとりが決意を語る中、Rくんはなかなか手を挙げませんでしたが、さすがに観念したのか、最後のほうでついに手を挙げ立ち上がります。
ところが、Rくんはぜんぜん話せませんでした。どう話していいかわからないといった困惑の表情を浮かべ、「きっとこんなことをいえばいいんだろう」ということはあるのに言葉にならないで声をつまらせていました。
実は、Rくんにとっては他の子たち以上にこういうことが苦手なシーンだったようなんです。なぜなら「デモデモ星人」だから=プライドが超高いから。
逆に言えば、ここで決意を語るという行為は、彼にとっては他の子たちが感じるよりも恥だった(=成長をもたらすものだった)ということでもあります。Rくんはなんとか喋り切りました。
そして翌日、彼は公式戦(負けられない試合)でスタメン出場し、先制点含む2点を取り、チームは3−0で勝利。
彼もあの決起呑み会からたった一晩で確実に成長した選手のひとりでした。デモデモ星人が、半ば強引にみんなの前で恥をかかされる。でも、何かが吹っ切れたのでしょう。
Rくんはその日の試合中もM田コーチに怒られるシーンがありました。しかし、その日の彼はふてくされる様子もなく、いつもより真摯にM田コーチのいうことに取り組んでいたように私には見えました。
M田コーチの狙い通り、「恥」が「成長」の引き金になった選手が何人いたことか。。。
●「優しさ」と「甘やかし」の違いは?答えは超シンプル
さて、自尊心とプライドの話に戻りますね。
読んでもらってご理解いただけたと思いますが、プライドが高い人間は恥をかくことができません。
なぜなら、その恥によって自尊心が耐えられず壊れてしまうかもしれないと感じるからです。そうならないようにプライドという鎧で自分を守ります。こうして成長機会を逃すわけです。
さてさて、子どもは恥をかいて成長しました。では、大人は?
社会人ともなれば恥をかくことは減ったのではないでしょうか。ましてやこの時代です。恥をかかせるという成長機会を与えようとしても、すぐにパワハラとかモラハラとかいってくる輩ばかりです。
それをパワハラやモラハラと捉えるか、それとも「恥をかくチャンス」と捉えるかで、その人の社会人人生が決まりそうな気がします。
子どものころから恥をかかないように逃げて生きていると、プライドという鎧はどんどん分厚くなってしまいます。逆にプライドで守られた自尊心は、鍛えられることを知らずどんどん弱くなっていきます。
まるで「はしか」や「水ぼうそう」にかからずに成人してしまった人が、大人になってそれらにかかってたいへんな目にあうように、自尊心を強くせずに生きてきたまま大人になった人は、相当にこじらせます。
恥をかくと、実は「恥をかいても命まで持っていかれることはない」と体験的に気づきます。
また、恥をかくと友だちに嫌われたり親に見放されるのではないかという恐怖心(たいてい無意識)も、実際に恥をかいてみるとそんなことはないとわかります。
こうして自尊心が強くなります。「ぼくはこの先恥をかいたとしても、きっと大丈夫だ!」と。
「成功」と「成長」は違うということについても言及しておきたいなと思います。
「成功体験が足かせになる」という話を聞いたことはないでしょうか。または「失敗はするべきだ」といった類の話とか。
これらの話を総合するに、「成功には良い成功と良くない成功がある」ということがいえます。
良い成功と良くない成功も、実は自尊心とプライド、恥をかくという話できれいに説明できます。
良くない成功とは、恥を伴わない成功です。それにより、自尊心よりもプライドのほうにその成功体験は影響してしまいます。
逆に良い成功とは、恥を伴った、恥を乗り越えた成功と言えます。それにより、プライドよりも自尊心に成功体験が影響します。
先ほどお話ししたRくんは、トレセン(地区選抜)にも選ばれ、うちのチームに来る前のチームではエース扱いされ、チヤホヤされていました。
これは良くない成功体験です。恥を乗り越えたわけではなく、はじめからそうだったからです。それにより自尊心よりもプライドが育ってしまい、恥をますますかけなくなってしまっていたのでした。
その結果のデモデモ星人だったわけです。
良い成功は「恥」により成長が伴いますが、良くない成功は成長を伴いません。また、成功だけが成長というわけでもありません。成功しても成長しないケース、失敗しても成長するケースというのもあるわけです。
私も経営者になって「恥」をかく機会が少し減ったかもしれません。
しかし、思い返すと、経営者になってからもやはり恥をかいたときに成長しています。ここには書けない「恥」がいっぱいありますが、話せる範囲で話すならば、たとえば会社がピンチのときに会う人を変えるというものがあります。
このままじゃ会社が立ち行かなくなるかも、みたいなときに、自分よりも結果を出している経営者ばかりの団体に入るのです。
そうすると周りは自分よりすごい経営者ばかり。社員数や年商の話とかにもなりますが、自分の今の会社の規模や、なんなら会社が立ち行かなくなりそうなことも含めて「恥ずかしい!」とめちゃくちゃ感じるんですね。
「お前のやっていることは会社ごっこだ!」と、みんなの前で直接的な恥をかかせてくれた先輩もいます。
それでも隠したりウソつくほうがよっぽど恥ずかしくてタチが悪いので、すべて正直に話すしかないわけです。
でも、そういう環境で恥ずかしい思いをしていると、いつの間にか成長していたりするんですよね。私自身はこうして会社の年商を倍にしたことが2回あります。
言い方を変えるなら、成長が止まったら恥をかきにいけ、ということなのかもしれません。
さて、恥を「かく」ほうばかりの話に言及してきましたが、最後に恥を「かかせる」ほうについても言及したいと思います。
自尊心は「愛」が育み、プライドは「愛」が足りないと育ってしまう、というお話をしました。
「恥」に関してもまったくこれと同様で、恥をかかせる側の人間に「愛」があるかが重要となってきます。
愛のない恥をかかされたとき、人は防衛本能としてプライドが発動します。今後こういったことで自尊心を傷つけられないように。本当に悪意のみで「あいつに恥をかかせてやろう」みたいなときや、いじめとかもこれ。
愛がある人、愛を感じられる人からの恥は、自尊心を強くします。その恥を乗り越えたとき、自己肯定感や達成感を感じることができるからです。
普段は厳しい物言いのM田コーチも、実はとても愛情深い人です。
今年の春に卒団した子たち(昨年の6年生)を送り出す会のときのことです。あんなに厳しくて恥をかかせてくるM田コーチが、選手ひとりひとりへのメッセージを伝える際に号泣。
こんなの、子どもたちへの愛がある人じゃなきゃそうはならないじゃないですか。私も半泣きでしたもの。
M田コーチは恥をかかせる厳しいコーチですが、それでも信頼されて結果を出しつづけてこられたのは、実は愛情深い人だからでです。
こういうシーンをとおしてそれをみんな知っているから、選手もその保護者もM田コーチの厳しい物言いを信頼しているわけです。
自尊心とプライドという似て非なる言葉を紹介しつつ、「恥」について考察してみました。
最後にもうひとつ似て非なる言葉を紹介します。それは「優しさ」と「甘やかし」です。
この2つは一見近い言葉に感じつつも、「優しさ」にはポジティブな印象が、「甘やかし」にはネガティブな印象があります。
ではこれらの違いは何なのか?それはとってもシンプルです。答えは
- 「今」と「未来」のどちらを見ているかで決まる
となります。
苦しみ、もがいている人がいるとしましょう。その人にかける言葉はどんなものになるでしょう?
このとき、今しか見ていない言葉をかけるのは、たとえそれが相手を傷つけない優しげなものであったとしても「甘やかし」です。
未来を見据えた声かけというのは、ときに厳しい言葉になることもあります。でもそれがその人の未来を考えた言葉なら、それこそが本当の優しさです。
M田コーチが厳しいのは、本当の意味で優しいから、というわけです。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール

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ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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