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2021年09月24日 ビズアップの歴史 メールマガジン 【第593回】創業16年目突入記念! ビズアップの歴史 ー起業の覚悟編ー

ビズアップはこの9月で16年目(法人として15期目)に突入しました。

丸っと15年が経過。振り返ればいろいろとありましたが、印象としては「あっという間」でした。

ちなみにこのメルマガは2009年にスタートしました。毎週金曜日、お盆と正月、祝日を除いて書きつづけてきましたから、こちらは丸12年となります。引きつづき書き連ねていく所存でございます。

今週のコロコロニュースは軽く。

「42万人おじさん」こと西浦教授がネットでまた炎上しているようです。ことごとく予測が外れ、経済、社会に深刻な影響を与えてきた42万人おじさんに対し、コロナで苦しむラーメン屋さんがtwitter上で抗議。ラーメン屋さんの「自分の予測が外れたことをしっかり検証すべきだ」という意見に対し、42万人おじさんは

「他のことで忙しいんじゃ!そんなことやってられっか!」

的な返事をしてしまい、多くの人の批判を受けているというものです。忙しいなら辞めればいいのに。民間企業なら降格間違いなし。「他の仕事だってあるんですよ!」というセリフを口にする人は、私の経験からいってもれなく仕事ができない人です。そんな人に大事なコロコロ対策を任せるべきではないのは誰もが思うところではないでしょうか。以上。

さて、本日のお話は超長いです。ですので、3時のおやつ休憩のときにでもお読みいただくことをオススメします。しかもあまりに長いので2週に分けてお届けいたします。

本日はビズアップの起業から6年目くらいまでのお話をストーリー仕立てでお届けしたいと思います。

起業したばかり、これから起業を考えているという方には多少は役に立つお話かと思います。そうではない方にも読み物として面白いなと感じていただけるようにお話してみたいと思います。

 

●起業の決意 ー妊娠ー

お客さまや知り合いの中で私やビズアップに対して、

「スマートで事業がうまく行っていて順風満帆な会社(社長)」

という印象を持たれている方にお会いすることが少なくありません。

しかし、実際は私も人並みに(?)無様でかっこ悪い社長人生を歩んでいます(人並み以上かも)。つらく苦しいこともたくさんあります。もしかしたらそういうことのほうが多いかもしれません。

実は私にとってこの時期というのは、これからも決して少なくはないであろう苦しいことやつらいことに打ち勝つために、創業当時の昂ぶった気持ちを思い出す大切な時期でもあります。

それにしても人はなぜ起業するのでしょうか?

もちろんすべての人が起業したいわけではないですし、起業したい人のほうが少ないでしょう。

人間はそもそも良い悪いにかかわらず安定を求める傾向があります。その安定を捨てて起業という荒波に旅立つ人々は、起業を目指さない人の目にどのように映るのか。

起業を経験している創業社長は意外とこの視点を持つことができずイメージが湧かないものかもしれません。

高度経済成長期には自分で会社を起こすことを「起業する」ではなく「脱サラ(する)」と呼んでいました。このことには大きな意味があると考えます。

「脱サラ」はサラリーマンでいることのほうが安定していて幸せな人生を送ることができるのに、その「賢い」選択をせず「権利」を放棄する、おそらくはそんな意味を含んでいたのです。

他の起業家がどうかしりませんが、私が起業した理由はいたって個人的でした。

「自分の価値を証明したい」
「人に認められたい、尊敬されたい」

という極めて自己顕示欲の強い理由こそが私の当時のモチベーションでした(もちろんお金もほしかった)。

今ではさまざまな理由や裏付けからロゴやデザインの仕事は天職だと思えるのですが、起業当初はどちらかというと誤解を恐れずいえば「商材は何でもよかった」というのが本音かもしれません。

2006年4月1日(土)。エイプリルフールの日に私は結婚しました。

エイプリルフールですから、いまだにちゃんと結婚できているのか、この結婚はウソだったのではないかと感じることもなくはないですが(笑)、この結婚が私の人生の転機となったことは間違いありません。

当時の私は、新卒で入ったデザインや印刷の会社「S社」、その後転職した健康系ビジネスの「H社」からさらに転職をし、3社目の飲食系コンサル会社「P社」に在籍中でした。

そのP社に入った理由は「起業させてもらえるかもしれないから」でした。

入社前の私にP社の取締役は、

「起業したいならうちに来い。2年で上場するから勉強になるし、ストックオプションも手に入り開業資金になる。」

と言いました。結局はこれは単なる口車だったとあとで分かります。

が、とにかくこのころから起業することを念頭に日々仕事や勉強をしていました。

そして入社しておよそ半年で結婚、その翌月には妻が妊娠したことがわかりました。私は妻にうれしい素振りをしながら、心の中では「やばい!」と感じていました。

もちろんうれしくなかったわけではありません。しかし、私は自分自身が決して強い人間だとは思っておらず、子どもが産まれたら守りに入ってしまい起業はできないだろうと感じていたのです。

1ヶ月ほど悶々と悩みつづけました。

「やっていけるんだろうか」
「失敗したらどうしよう」
「でもここで起業しなければ一生しない気がする」

悩むだけでは解決しないこの自問自答を何度繰り返したかわかりません。

その都度、起業をしたほうが良い理由を自分に投げかけました。当然ながらその「良い理由」とやらは「自分に都合の良い理由」にほかなりません。

その中のもっとも都合の良い理由を思いついたとき、起業をする決心がつきました。それはこんなものでした。

これはきっと、生まれてくる子どもがオレに期限付きでチャレンジしろと言っているんだ!

どこをどう切り取ったらそんな超曲解ができるのかわかりませんが、この考えが自分の背中を大きく押してくれました。ヨメには、

「子どもが産まれてもご飯が食べられなかったら会社員に戻るのでチャレンジさせてください」

とお願いしました。ヨメの回答は「どうせ止めてもやるんでしょ」でした。。。しかしヨメの両親はどう感じていたのか。。。

 

●覚悟を試されるできごと ーその覚悟は本物かー

ヨメの両親は愛知県豊田市に住み、トヨタ自動車で働いていました。今はすでに定年退職しましたが言うなればトヨタに一番恩恵を受けた世代かもしれません。

  • 夕方6時には仕事から帰って家にいる
  • 「明日休んじゃおっかな」というノリで前日の夜に有給を取る

そんな人でしたが年収は1000万以上ありました。義父からしたら私の行動は意味が不明なわけです。

「あれ?うちのムスメ妊娠してるよな?もしかして旦那はバカかな?バカなのかな??」

と思ったことと思います(笑)。ちなみにヨメの友人は全員口を揃えて

「人でなし」
「頭がおかしい」
「気が触れている」

と私をディスっていたそうです。まあ、そりゃそうですよね。

そういえば以前、鳩山由紀夫元首相が「国民の平均年収って1000万くらいですよね」と言って大ブーイングを受けたことがありますが、義父のみならず当時の義父世代のトヨタの社員はそれに近い感覚を持っていても不思議ではなかったと感じます(しかしそんなことはもはやこの日本では少なくとも数十年かそれ以上起こりえない気がします)。

義父はほぼ毎日のようにヨメに「おい、大丈夫か?」と電話をしてきていたようです。私も義父と同じ立場だったら同じことをするかもしれません。そしてビックリしたのですが、うちの両親も私ではなくヨメに「おい、大丈夫か?」と連絡してきていたそうです(爆)。

さて、2006年4月の結婚式にはP社の役員5名が総出で出席、社長に至っては主賓の挨拶で私に対し「3階級特進の年俸120万アップ!」というサプライズ人事を行い、親戚のおっさんどもが「わぁー!」と湧くという一幕がありました。

しかし、当の私はその2ヶ月後の2006年6月には会社に辞表を出すという薄情ぶり。それでもお世話になったし今後の関係もあるし、「キレイに辞めたい」と思っていた私は退職まで2ヶ月半を費やしました。

最後の2週間は「早上がりさせてもらう」という条件で部下の教育のためにタダ働きをしました。朝8時に会社に行き昼の2時まで仕事をし、その後は自宅で起業の準備です。

それにしても人というのは不思議なもので、ある決断をするとそれが本気なのか覚悟を試すような試練ががいくつか起きます。

私の場合もいくつかそれが起こりました。ひとつは私をP社に引き込んだ取締役に

「津久井くんは起業しても絶対失敗するよ」

というような意地悪なことを言われました。これは覚悟が中途半端な人にはおそらく意外と響く言葉です。ましてやその取締役はP社以外にも自分の会社を持っている人で、私からしたら起業に成功した大先輩です。

取締役の言葉がなぜ心配や親切心ではないと言い切れるかというと、その取締役(当時33歳)はさわやかな身なりとは裏腹にたくさんのウソを私についていたことを知ってしまっていたからです。どうでも良いことから腹の立つことまでいろいろありましたが、少なくともその取締役が信用に足る人間ではないということはわかっていました。

また私は自分で言うのもどうかと思いますが仕事がめっちゃできました。取締役は私に1指示出せば10になって返ってくることをわかっていました。私を手放すことによって自分が大変になることがわかっていたのです。

これらの事前情報から、覚悟が決まっていた私にとって取締役の言葉に多少は腹が立ちましたが、不安を煽られるようなことはありませんでした。

ちなみに起業して数年経ったときにその取締役から電話がありましたが無視しました(汗)。留守電には「久しぶり〜。すごい順調そうだね〜。電話ください〜」というパリピっぽいテンションのメッセージが入っていましたので、正直「は?」と小籔千豊ばりのツッコミを心の中でしたくらいです。

話をもとに戻しましょう。

実は起業を決意した時点ではまだどんな商材で起業するかを決めていませんでした。先ほどお話したとおり、自己顕示欲の塊だった私にとって商材はあまり関係ありませんでした。

そんな中、独立のために2つの収入源を計画をしていました。

ひとつはあるビジネスのフランチャイズオーナーを探すお手伝い。もうひとつは、あるネットのコンテンツを持っている方のそのコンテンツを流行らせて収益化するお手伝い。

どちらもP社のときに開拓した人脈でのご縁で、P社にいるときから比較的この2名の経営者にかわいがってもらっていました。彼らはどちらも「早く会社を辞めて独立して仕事を手伝ってくれ」と言ってくれていました。

私としては期待されていることで自己顕示欲が満たされる上に、独立後の安定した収入源になる可能性が高く、とてもありがたいと感じる言葉でした。しかし、収入源は3本はほしいと常々考えていた私にとってどうしてもあとひとつ考え出す必要がありました。

 

●ロゴデザインサービスの誕生とさらなる覚悟を試すできごと ー降りてきたー

まず、私にはお金がありませんでした。なので、在庫を持つ必要がなく、人件費を変動費化できる(固定社員をあまり雇わなくていい)、こんな商材が良いと思っていました。

また、私自身は独立のための勉強としてひたすらにマーケティングを学んでいました。私の学んでいたマーケティングには

「羊の群れにオオカミを放つ」

という言葉があります。マーケティングの弱い業界にマーケティングの力で殴り込みをかける的な意味合いです。そんな「羊の群れ」と呼べる業界はどこかも合わせて考えていました。

  • 在庫を持つ必要がない
  • 人件費を変動費化できる
  • マーケティングが弱い(羊の群れ)

この3条件を満たすのが、なんと私が新卒から6年間身を捧げた1社目のS社の業界、デザイン業界だと気がつくのにさして時間はかかりませんでした。

デザインの仕事であれば、在庫は発生しません。また、デザイナーもフリーランスの人がたくさんいますから、そういう人たちと協力体制を組めれば固定で社員を雇用しなくても十分サービス提供が可能です。

何より、デザイン業界というのはデザインには精通していてもビジネスに精通している人は少なく、ましてやマーケティングともなれば当時はほとんどの人、会社がよくわかっていませんでした。

「デザイン業界を戦う場として選ぶ」。ここからさらに発展し、「デザインの中でもさらに専門特化できるとしたら?」という質問(自問)を繰り返しました。これも私が学んできたマーケティングの中のひとつの手法です。今では私のブランディングの理論もこの考えを取り入れています。

専門特化すると、ターゲットが明確になったり、メッセージをとがらせることが可能です。メッセージはとがればとがるほど、ターゲットに対して響きやすくなります。

数日間でしょうか。デザイン業界が自分の戦う場だろうと気づいてから数日たったある日の朝、散歩中の私の頭の中に

「ロゴマーク」

という言葉ともイメージとも言えない「感覚」が降りてきました。P社をまだ退職する前の話です。

朝の散歩から自宅に戻り、急いで支度をしてP社に出社しました。やることはただひとつ。ネットでのロゴの市場調査です。

ロゴマークであれば在庫を持つ必要がなく、仕事も案件単位で受けてくれるフリーランスがいる業界なので変動費化もできる。ここまでは確定。あとはこの業界は果たして羊の群れなのか。

ネットを見た結果は予想どおり羊の群れでした。直感が確信に徐々に近づいていく感覚。

こうして後に天職とも呼べるロゴのサービスが誕生しました。「無料提案」もすでにこのときに思いついていました。

そこで起きたのがさらなる「覚悟」を試す試練です。

2社ともでした。私がお手伝いをすることで収益源にしようと考えていた2社とも、結局契約には至りませんでした。

コンテンツ運営を任される予定だった会社は、私がそのコンテンツの乗っ取りを企んでいると痛くもない腹を探られた上契約できず、フランチャイズオーナー探しのお手伝いをする予定だった1社は、契約書が足元を見るような人を馬鹿にした内容のものになっていました。したがってこちらも契約には至りませんでした。

今こうして16年目に突入する会社をこのときにつくることができたということを考えると、この2つの会社とのできごとは本当に「覚悟を試すための試練」だったと思います。私がビビってしまって足元を見るような内容の契約をしてしまっていたら、おそらくはビズアップという会社はなかったでしょう。

そもそも人の商材を売らせてもらうという虫の良い話そのものが逃げの発想で、覚悟を試されても仕方ありません。

もちろんスーパー営業マンを目指している人はそれで一向にかまわないと思います。それ(人の商材を売る)こそが仕事です。私の場合は「収入の確保」というなんともな理由ですから、試されるのも当たり前でした。

かくして図らずも「ロゴマーク」の事業だけが残ることになります。

 

●独立前夜 ー人間、本気になったら1ヶ月あれば十分ー

2006年8月、正式な退社日も決まりいよいよ独立です。この時点ではロゴのサービスを開始するための準備は何ひとつできていませんでした。たとえばホームページ。お金がないから人に頼むわけにもいきませんでした。

そんな中真っ先に取り組んだのが、自社(ビズアップ)のロゴをデザインすること。ビズアップのロゴは2012年にマイナーチェンジしていますが、日の丸に指のモチーフはこのときからのものです。

その後、8月中にブログを利用して自作でホームページをつくりました。

ちなみにここでお断りしておくと、私自身は実はデザイナー出身ではありません。デザイン業界にいるときはずっと営業兼ディレクターというポジションで仕事をしていました。

Illustratorなどのデザインソフトを独学で覚えていたため、P社やその前のH社では実際にデザインをつくったりもしていましたが、せいぜい小奇麗なレイアウトを組む程度の実力で、ましてやホームページの作成などやったこともありませんでした。なので、ホームページの出来栄えは、デザイン的に決して褒められるようなものではありませんでした。

また、ロゴのサービスをはじめるのはいいとして、信用してもらえるような実績もゼロでした。実績がないことを補うために、さまざまな企業さまに

「完全無料でロゴをつくらせてください。限定5社です。そのかわり感想文を書いてください。」

という未承諾広告を送りまくりました。当時はメールアドレスのリストを買うお金などありませんから、ロゴがなさそうな会社を目視で探して、そのメールアドレスをひとつずつコツコツ収集し連絡を取りました。

そうして5つの実績をつくりホームページにそれを掲載。ここまでの準備ができたところで、ネットの広告に出稿しました。ここが勉強してきたマーケティングの腕の見せ所でした。

しかし、結果は散々なものでした。ロゴの依頼はほぼ皆無に等しいものでした。もしかしたらこれも試練のひとつかもしれませんが、ここで諦めていたらやはり私は会社員に戻っていたことでしょう。

私は自身のマーケティングの師匠とも呼べるH社時代の上司に連絡を取りました。私の広告をみた元上司は「これじゃ注文はきいひんで」という関西弁のメール文面とともに、見本となるような広告を簡単につくってくれました。

ほんの一瞬です。ほんの一瞬だけ、

「オレは何を勉強してきたんだ・・・」

というショックでかつ情けない感情が頭をもたげましたが、覚悟が決まっている人間はそんな感傷にいつまでも浸っているということを選択しないものです。すぐさま私は

「この広告をそのまま使わせてください!(タダで)」

という返信メールを書いていました。。。ほどなくして「ええで」という3文字がメールで返ってきたときにはすでに広告のセッティングは終わっていました。

それはまさに魔法のような広告で、実績もほとんどない、ホームページもデザインが冴えない、そんな会社に依頼が日に数件舞い込むようになりました。

この時が2006年の8月の末。なんと、起業すると決めてから3ヶ月、起業の準備に取り掛かってからたった1ヶ月のできごとでした。

こうしてビズアップは会社としてスタートを切ったのでした。

覚悟が決まっている人間にとって1ヶ月という時間は十分なものなんだ、そんなふうに私は今も思います。

さて、またしてもかなり長い文章となってしまい恐縮です。今週は一旦ここまで。

次週は独立してからの充実した日々と、それを覆すような「社員半数退職事件」をお伝えしたいと思います。

 

今回はここまでです!

津久井

投稿者プロフィール

津久井 将信
津久井 将信
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。

かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。

2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。

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