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9月最終日。いよいよ今年もラスト3ヶ月!光陰矢の如し。。。
いつもウォーキングをかねて会社まで30分弱歩いて通っておりますが、このコラムでも取り上げた「きぬた先生」が、太陽の位置の加減で某宇宙海賊のようになっておりました。
どうでもいいですね。。。というわけでコロコロニュース。
というわけで、コロコロニュースも同じような話をいろいろと繰り返すようになってきました。まるで輪廻転生。いつになったらこのループから抜け出せるのでしょう。
私はとにかく子どもたちが狙われているだろうことがイヤです。大人はマスクの同調圧力をかけたり受けたりしながらもすでに呑み会で騒いでいますが、子どもはいまだに給食の時間に友達との会話が許されていません。「黙食」とかいうバカなネーミングをつけて従わせています。マスクも同様です。
これは感染対策ではなく、従わせるトレーニングです。わかりますか?
「教育」とは、誤解を恐れずいえば「洗脳」です。だから、教育者には人格が求められるのです。そしてこの洗脳がもっとも効果的なのが、子どもです。太平洋戦争中の学校でやっていることと今やっていること、本質的にはまったくといっていいほど同じです。
- 教育
- 食事(農薬や化学調味料)
- コ□ナとお注射
このあたりからジワジワと子どもをコントロールしようとしていると私は思います。誰が?それを話すと長くなってコラムどころではありません(笑)。ちなみに大人は子どもより先に死ぬし、お注射でも打っとけばいいし。
というわけで、コ□ナでなぜか注目を浴びるようになった小説家ジョージ・オーウェルの画像で今週のコロコロニュースを終えます。
ジョージ・オーウェルについてはこちら→新型コロナ時代に、ジョージ・オーウェルが再び注目される理由
本日のお話です。
電車に乗っていていつも感じるのですが、路線によって雰囲気が違いませんか?
私は会社も自宅も東京の私鉄、京王線の沿線にありますが、京王線は明るくてきれいなイメージを持っています。京王線はけっこう好き。
最近ではそうでもないですが、一昔前の小田急線や東武東上線はとても暗くて陰鬱な雰囲気でした。
地下鉄でいえば同じ理由で銀座線が好きですが、やはりちょっと前までは丸の内線と日比谷線がとても暗い印象。日比谷線は今でもちょっと暗い印象です。
新幹線も、東海道新幹線と東北新幹線では雰囲気が異なります。東北新幹線のほうがやはりちょっと暗いイメージがあります。先日ボディメイクの大会に出るために上越新幹線に久しぶりに乗りましたが、上越新幹線もちょっと暗いかな〜。
こういうのを感じるの、私だけなのでしょうか?みなさんはいかがですか?「感じる」って本当に特殊能力だと思う。
そんな「感じる」「感じてしまう」の代表例は「人の顔」ではないでしょうか。相手の顔を見るとどんな性格か、自分と相性が良さそうかなどを自然と「感じている」のが人間だと思います。
だからマスクはこういう観点からも危険だと思います。相手がどういう人かを読み違えるし、相手の感情も把握しづらい。コ□ナ禍になってから生まれた子どもたちに言語の遅れが出ているという研究結果がありますが、それもよくわかる。
というわけで、本日は、「感じる」ということを「顔」をとおして考察してみたいと思います。
●鳥は当たり前のように空を飛び、人間は当たり前のように「感じる」
「顔」の話をする前に、「感じる」ということについて少しお話します。
電車の雰囲気に限らずですが「何かしらを感じてしまう」という経験は誰しもがあると思います。
「考えて」そうなったわけではなく自然と「感じて」しまうというところがミソ。
ブランディングは「選ばれる、選ばれるづけるための施策全般」というふうに私は定義づけています。それらは「言葉と画(え)」で行います。
そしてどちらも「感じてしまう」をどのように戦略的にコントロールするか、が肝になってくるわけです。
- この言葉を聴くとこう感じる
- この画(え)を見るとこう感じる
ということを作戦立てて行う、ということです。
前述しましたが、「感じてしまう」の代表例は「人の顔」。
はじめて会う人の顔つき、人相から、なんとなく「こんな人だろう」ということを想像してしまうということはよくあることです。
人相学はあながち外れていないのではないかと思っていて、たとえば目が顔の中央寄りの人は集中力が高いけど視野が少し狭い。逆に目が離れている人は集中力はあまり高くないけど視野が広く、幅広く物事を見れる、なんていいます。
動物も一緒で、肉食動物は目が中央に近いけど草食動物は目が離れています。
肉食動物は獲物までの距離を正確に測るために目が中央寄りで正面についていて、獲物を獲るために意識を集中します。
草食動物は逆に捕食されないように視野を広くもち危機察知できるように外側に目がついていると言われています。肉食動物と違って集中力はあまりありません。なぜなら集中すると逃げ遅れるからです。
こういうことから、顔つきから集中力が高いとか低いとか、視野が広いとか狭いとかは実は人間にも当てはまっている、だから人相学はわりと当たっている、なんて考えられています。決してスピリチュアルな話だけではないということですね。
「人の顔」から感じるのは性格に関することだけではありません。
悲しそうな顔をしている人がいれば「悲しいんだろうな」ということを「感じ」ます。つまり感情を読み取ります。「私、悲しいんです」と伝えなくてもわかる。
当たり前のようですが、これ、よく考えたらすごいことです。だってこれって言葉がなくても相手に自分の感情や心境を伝えることに成功していると言っていいですよね。すごくないですか?
元テレビ大好きっ子だった私は、今でも「水曜日のダウンタウン」という番組だけは見ているのですが、そこで以前こんな「説」が検証されていました。
生中継で芸人がレポートをしているときに、「ヤバめ素人」がロケに割り込んでくる、それを芸人がどう対処するかを検証した説なのですが、特筆すべきは「芸人の力量」のところではなく「ヤバめ素人」のところです。
「ヤバめ素人」を演じているのがスタッフさんなのか役者さんなのかわかりませんが、「ヤバめ感」が半端ない。
しかしおそらく、事細かに演技指導をされたわけではなく、「ヤバめ」という言葉から想像してこのような演技をしていると考えます。
なぜ「ヤバめ素人」という言葉だけで「こんな感じだろう」という表現ができてしまうのか。
- 目が据わっている
- 口が半開き
- 視点が定まらない
- 服装が汚らしい
- 体の動きもなんかおかしい
- 木の棒を持っている
言葉にするとこんな特徴がありそうですが、おそらくそれらをひとつひとつ説明しなくても「ヤバめ素人といえばこんな感じ」ということから演技ができてしまう。そしてそんな人を見て視聴者は「たしかにヤバそう」ときちんと「感じる」。
人間のこの「感じる力」って本当にすごいんですね。
私が定義する「コンセプト」とは、こういう「ヤバめ素人」のような言葉です。「考える言葉」ではなく「感じる言葉®(ビズアップで商標とってます)」。「感じてしまう言葉」。
ちなみに師匠である伊吹卓先生はこの見て感じる力を使って物事を考えたり分析することを「着眼法」と名付けられていました。
実際に観察する、観察すれば感じる。そこからわかることにはとても膨大な情報が含まれているわけです。感じる力とそこから何かを導き出す力が強い人を「着眼力がある」と言います。
伊吹先生はよくおっしゃってました。
鳥は空を飛ぶことができる。人間からしたらとてもすごい能力だ。しかし鳥からしたら当たり前のこと。つまり自分にとって当たり前過ぎてその価値に気づいていないということが本当によくある。人間にとって「見て感じる」という能力は鳥が空を飛ぶのと同じくらいすごいことなんだ。
なお、伊吹先生のノウハウは、何かの文献を研究したりするものではなく、観察してそこからロジックを導き出すものがほとんどです。見て感じる力が強かったのが伊吹先生です。
●顔採用
「感じる」というのは意識とはある意味切り離されたものです。
「この人の顔はこうだから、だから〜〜で、なのできっとこういう人」
という順序立てた考察ではなく、第一印象でそのイメージが出てきてしまうこと。脳みそが先にイメージを持って、それが意識に現れてくる、という感じでしょうか。
実は最近の研究では、その人の信頼度まで脳が瞬時に判断しているということがわかったそうです。
記事によると、脳の扁桃体という部位が「意識とは関係なく」瞬時に相手が信頼できるかどうかを判断しているそうです。そうだとすると「意識って一体何なんだ」とちょっと切なくなりますけれども。。。
でも人間は見て何かを判断するようにそもそもつくられているということがわかります。
ちなみに研究の結果によると、信頼できる人とできない人の顔の特徴が割り出されたそうです。
- 「信頼できる」という印象を与える顔の特徴は下がった眉と高い頬骨
- 「信頼できない」という印象を与える顔の特徴は吊り上がった眉と平らな頬骨
となっており、これは実際の画像を記事内のリンクから確認できますが、個人的には「ほんまかいな」という顔つきでした。「信頼できる」ほうの人があまり信頼できる顔に見えなかった(笑)
人相学についても前述しましたが、では、人相と信頼度や性格って本当に相関関係があるのでしょうか?「信頼度がある」とか「きっとこんな人だろう」と「感じた」ことはどれくらい合致するのか?
人間の性格は十人十色ではありますが、ある程度の傾向はつかめるのではないか、と感じた記事があります。
この記事の中で、東急エージェンシーという会社が独自の顔採用システムを開発したとあります。
顔で採用の可否を決めるのではなく、顔つきからある程度の性格を判定し、その性格に合わせた面接や応募方法を用意してあげるというもののようです。
WEBカメラが付いたPCからエントリーすると、入社3年目までの社員+内定者の顔座標から独自の計算式で算出し、
「のんびり顔」
「心配性顔」
「せっかち顔」
「よくばり顔」
「こだわり顔」
の5つの顔に分類されます。
それぞれの「顔」に応じて用意する就活支援特典も5種類あり、「のんびり顔」には「エントリーシートの〆切に1週間のロスタイム」、「心配性顔」には「面接5分延長戦」を用意されます。
また「せっかち顔」の人にはエントリーシート設問を1週間先行公開、「よくばり顔」の人には面接を独り占め、「こだわり顔」には面接官を写真で逆指名権を設けることができるといった、非常におもしろい仕組みになっています。
これが東急エージェンシーの『顔採用』です。
と記事にはあります。
どのくらいの精度かまではこの記事からはわかりませんが、今後AI技術などが発達すればより精度は上がりそうでうよね。
で、ポイントは、おそらくこれはAIのようなものをつかって大量にデータを入れて解析しなくても、そこそこの精度で人間は自然とやっていることなのではないかということです。「感じる」力があるから。
●顔採用がアリの理由
人の「感じる力」とその精度(感じたことが正しいかどうか)について少しお話しました。
採用においてはもちろん精度が求められますが、実際のビジネスの現場においてははっきり言って精度は関係ないと私は考えます。
相手の脳の扁桃体に瞬時に「ダメだ」と感じられてしまえば、「その先」に進むことは難しい。
たとえば営業マンの身なりが信用に足るものではなかった場合、その人が本当はどんなに誠実で仕事もできる人であったとしても、その人から何かを買う確率は格段に下がってしまいます。
なので人が「感じ」たことが正しいか間違っているかという精度はあまり関係ない。何かを「感じさせた」時点で勝敗は決してしまっているというわけです。
そしてこれは人に限った話ではありません。商品や販促物、会社の雰囲気など至るところに「感じる」ポイントがあります。だからブランディングが大切なんですね。
また、「好きか嫌いか」「信頼できるかできないか」だけではなく、「自分に合いそうかどうか」も人間は瞬時に判断していると私は考えます。
その判断は、関係が深くなる前の「第一印象」であることがほとんどです。だから、自分(自社)の「内面を表した第一印象」にすることが大切です。「らしさ」をデザインで表現するわけです。
特にロゴは「会社の顔」と言われるほどです。お話してきたように、顔はその人のらしさを最も表現します。
先ほどの記事にもありましたが、顔は内面により造形がつくられると考えられています。だから顔採用は精度が高いだろうという考えです。だから顔採用はアリだと個人的には思います。
そして、ロゴもそうであるべきです。ロゴを中心(コンパス)として名刺や封筒、ホームページ、パンフレットなどを展開すべきなのです。
たまに、「名刺のデザインはあるからそれにあったロゴをつくってほしい」というご要望がありますが、正直あまりおすすめしません。
例えるなら、赤ん坊がどんな服が似合う子になるかわからないのに中学生になったときの洋服を買うようなものです。家を買う前に家具やカーテンを購入するようなもの。
物事には順番がありますからね。
そういったところをもう少し真剣に考える必要が日本のビジネスマンにはあるなと感じます。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール
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ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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