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今月は旅行や出張が多い。
先週お話したとおり、4月の頭には家族で北海道に旅行に行きました。
そして今週は火曜日、水曜日と京都大阪出張。夜はお客さまとしこたま呑んでお話して、めっちゃ楽しかったです。人と会うのはやはりサイコー。
で、今日から八戸へ。来週は新潟に行きます。仕事は忙しいけど、動き回っているのは自分らしいなとも思ってしまいます。
これから、弊社の「ブランディングパートナー」が全国のお客さまにお邪魔すると思います。そして、都合が合えば私もこっそりついていきます(笑)
ではコロコロニュース。軽くで。みんなだいすき「査読済み論文」の話。
さて、本日のお話。
「人は見かけによるのかよらないのか?」
私はここに明確な答えを持っています。その答えは「人は見かけによる」です。
●人間の「感じる力」はある意味恐ろしい
はじめて会う人の顔つき、人相から、なんとなく「こんな人だろう」ということを想像してしまうということはよくあることです。
そこから何かを無意識のうちに判断しているということを、人間は自分が思った以上にやっています。
人相学はあながち外れていないと考えていて、たとえば目が顔の中央寄りの人は集中力が高いけど視野が少し狭い。逆に目が離れている人は集中力はあまり高くないけど視野が広く、幅広く物事を見れる、なんていいます。
これは動物もまったく一緒。肉食動物は目が中央に近いけど草食動物は目が離れています。
肉食動物は獲物までの距離を正確に測るために目が中央寄りで正面についていて、獲物を獲るために意識を集中します。
草食動物は逆に捕食されないように視野を広くもち危機察知できるように外側に目がついていると言われています。肉食動物と違って集中力はあまりありません。なぜなら集中すると逃げ遅れるからです。
こういうことから、顔つきから集中力が高いとか低いとか、視野が広いとか狭いとかは実は人間にも当てはまっている、だから人相学はわりと当たっている、なんて考えられています。決してスピリチュアルな話ではないということですね。
余談ですが、「人の顔」から感じるのは性格に関することだけではありません。
悲しそうな顔をしている人がいれば「悲しいんだろうな」ということを「感じ」ます。つまり感情を読み取ります。「私、悲しいんです」と伝えなくてもわかる。
当たり前のようですが、これ、よく考えたらすごいことです。だってこれって言葉がなくても相手に自分の感情や心境を伝えることに成功していると言っていいですよね。すごくないですか?
さてさて、では、こんな人がもしも営業マンとして御社に訪れてきたら、どう感じますか?
この人は、「水曜日のダウンタウン」という番組で以前検証されていたある「説」に登場していた人です。
- 中継先に現れたヤバめ素人のさばき方で芸人の力量丸わかり説
生中継で芸人がレポートをしているときに、「ヤバめ素人」がロケに割り込んでくる、それを芸人がどう対処するかを検証した説です。
「ヤバめ素人」を演じているのがスタッフさんなのか役者さんなのかわかりませんが、「ヤバめ感」が半端ない(映像だとより半端ないです)。
しかしおそらく、事細かに演技指導をされたわけではなく、「ヤバめ」という言葉から想像してこのような演技をしていると私は考えています。
なぜ「ヤバめ素人」という言葉だけで「こんな感じだろう」という表現ができてしまうのか。
- 目が据わっている
- 口が半開き
- 視点が定まらない
- 服装が汚らしい
- 体の動きもなんかおかしい
- 木の棒を持っている
言葉にするとこんな特徴がありそうですが、おそらくそれらをひとつひとつ説明しなくても「ヤバめ素人といえばこんな感じ」ということから演技ができてしまう。そしてそんな人を見て視聴者は「たしかにヤバそう」ときちんと「感じる」。
人間のこの「感じる力」って本当にすごいんですね。
またまた余談ですが、私が定義する「コンセプト」とは、こういう「ヤバめ素人」のような言葉です。「考える言葉」ではなく「感じる言葉®(ビズアップで商標とってます)」、「感じてしまう言葉」。
この人間の「感じる力」がある限り、人は見かけによる、というかよってしまうのだと私は考えています。
●とっても残酷かもしれない「勘違いさせる力」の話
- 人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決っている
という本があります(Amazonはこちら)。
タイトルからもわかるとおり、人生は「勘違いさせる力」が重要で、それを「錯覚資産」と同書では名づけています。
「錯覚資産」にはいろいろなものがあります。たとえば、Twitter(現X)のフォロワーが10万人いる、youtubeのチャンネル登録者数が30万に超えている、などもそうですし、本を出版しているとか、大企業の役員だとかもそうです。
もちろん実力があってそうなっているともいえますが、実はたいした実力がない人でも「実力がある」と評価されるケースもあります。たとえばTwitterのフォロワーを「買って増やしている」という場合とかでも、実力があると評価されてしまいますから。
「錯覚資産」というのはどんなに頭が良い人でも、脳の機能的にダマされてしまうそうです。
それを思うと、「サピエンス全史」で7万年前に「認知革命」が起きたと書かれていることと符合します。
「認知革命」により人間は「虚構を信じる能力」を手に入れ、今の人類のようになったり宗教が生まれたりしたらしい。「錯覚資産」に脳がダマされてしまうのも、この「虚構を信じる能力」のせいなのでしょう。
さて、「錯覚資産」はいくつかありますが、当然、見た目の力も大いに「錯覚資産」です。
そしてこれは、とりも直さず私たちの仕事=ブランディングの話です。ブランディングやデザインを「勘違いさせる力」というと、とっても人聞き悪い感じではありますが(汗)。
とあるTV番組で「採用試験に容姿が関係するか」を調べたところ、ほぼ全ての企業で美男美女が圧倒的に評価されたそうです。
容姿と仕事の能力には因果関係がないことはちょっと考えればわかります(正確には実はあると考えられています)。しかし、容姿が美しいと「実力がある」と勘違いしてしまう。「容姿」は「勘違いさせる力」のひとつなのは間違いない事実なんです。
「わかっちゃいる」のに大企業の採用担当者も「勘違い」してしまうほど、見た目には強力な力があるという歴然とした「事実」がそこにあることは注目に値します。
これを知って、
「おれはブサイクだからダメだ。。。」
「わたし、容姿に自信なんかちっともない!」
というのは早とちりもいいところです。私個人としては、顔の造形がブサイクか整っているかは個人的にはあまり気にする必要がないようにも思います。
会社員時代に、お客さまで当時30歳前後の女性Kさんがいました。新卒で入ったばかりの私からしたら商品開発部で仕事もできるお姉さん、という感じでした。
Kさんは、決して顔立ちが整っているほうではありませんでした。
しかし、当時まだそれほど浸透していなかったネイルサロンにおそらく通われていて、しかもシンプルでシックできれいなグラデーションのネイルをされていたのがとてもステキで印象的でした。
それだけではもちろんなくて、話し方や指先まで意識が行ったようなひとつひとつの所作が美しかったり、使っているボールペンなども、高価ではないかもしれませんが安っぽく感じられないものを使われていました。笑顔もステキでした。
とにかく良い意味でまわりの人にどう感じてもらうかを意識されていて、そしてとても女性らしくて、私はとても好きな方でした。
つまり、生まれ持った顔立ちやスタイルだけが「錯覚資産」ではないということです。努力でいくらでも持てるのが「錯覚資産」なんですね。ボールペンなんか、お金を出せば手に入れられる錯覚資産のひとつです。
さて、なぜ容姿がいい人を「能力がある」と勘違いしてしまうかの理由は、正確にはわかりません。ただ、観察の結果「そうなってしまう事実」があることは間違いない。
ここで、「見た目」に関する心理効果を紹介しましょう。
「魅力バイアス」というものがあります。
見た目が美しい人は、「知的」で「誠実」で「能力が高い人」だと思われる傾向にあるというものです。
また逆に、「仕事ができる人を思い浮かべてください」という質問に対しては、多くの人が「高身長の人」を思い浮かべると言われています。これも魅力バイアスです。
背が低くて猫背な人でもめっちゃ仕事ができる人はいるはずなのに誰もがそういう人を連想しないわけです。なぜそうなるかわかりませんが、これは事実なのです。
魅力バイアスを語る上で有名な話にアメリカの元大統領ジョン・F・ケネディの選挙の話があります。
対立候補であるニクソンとケネディの討論会を、ラジオで聴いていた人のほとんどがニクソンに投票し、テレビ(当時はまだ普及しきっていなかった)で見ていた人のほとんどがケネディに投票した、というものです。
その結果、ご存知のとおり大統領に選ばれたのはケネディでした。これは、簡単にいえばケネディの持っている「イケメン」という「錯覚資産」のほうが強かったわけです。
●「錯覚資産」とブランディング
先ほど、
- 容姿と仕事の能力には因果関係がないことはちょっと考えればわかります(正確には実はあると考えられています)
とお話しました。実は容姿端麗な人のほうが仕事ができる説(容姿と仕事の能力に因果関係がある説)もあります。
しかし、これは先天的なものではありません。つまり、生まれながらにして能力に差があるわけではありません。
強い、または多くの「錯覚資産」を持っている人のほうが、実はチャンスに恵まれやすいのは確かです。その結果、会社で重要なポジションに就いたり大きな仕事を任されたり。
そのときには実力がなくても、こういったこと=環境を与えられるをとおして実力が備わってくると。
このようにして、錯覚資産を持っている人と持っていない人とでは、結果的に能力に差がついてしまうわけです。
しかし逆に言えば、自分の錯覚資産を増やしたり磨いたりできれば、もともとの能力に差があるわけではないのだから、十分に戦えるということです。
さて、ここまでは個人個人の話。ここから私が主張したいのは、
- どんな業種、業態のお仕事でもブランディングにより錯覚資産を持つことができる
ということです。「容姿」の話とか「イケメン」「美女」みたいな話だけだと身もフタもない感があるかもしれませんが、人も会社も努力で錯覚資産を手に入れることは十分可能なんです。
それは、お客さまだったKさんの例のとおりです。決してお顔立ちが美人というわけではなかったKさん。しかし、たくさんの「錯覚資産」を持っていました。それはKさんの錯覚資産を増やして磨く努力の賜物でした。
企業だって同じことができるはずです。錯覚資産を磨くことで、良い仕事に参加するチャンスを得たり、良い応募者と面接するチャンスを手に入れたり。
価格や実力がまったく同じ2社があったとして、チャンスの数がその企業の錯覚資産の強さと多さで決まってしまうということも考えられます。錯覚資産を磨く、増やす努力を怠って、同じくらいの力量のライバルに仕事や人を持っていかれてしまう。こんなに悔しいことはなくないですか?
「錯覚資産」は当然ながら「見た目」だけではありませんが、同じように能力があるのに見た目によりそのチャンスを手に入れることができない会社があるとしたら、これは明らかに努力不足によるチャンスロス(機会損失)なわけです。
これが私たちがブランディングが大切だという理由です。
その高い商品力を、ブランディングをおろそかにすることで活かしきれていないとしたら?会社の容姿を整えていないために、営業マンや販売スタッフが苦戦を強いられている可能性があるかもしれないことに経営者は目を向ける必要があります。
また逆に、会社の「身だしなみ」を整えることで業績の振るわない営業マンに言い訳をさせない、ということだってできるわけです。
御社の商品やサービスが良いものかどうかというのはお客さまは体験してみないとわかりません。しかし、お客さまは体験する前にその商品を買うか、サービスを受けるかを決断しなければならないのです。
ブランディングに本格的に乗り出すかどうかの決裁権は経営者しか持ち合わせていません。
素人がつくった料理でも、一流レストランのそれのように盛り付けられていれば、凄腕シェフがつくったのではないか、と感じますし、3つ星レストランの凄腕シェフがつくった料理でも、ビニール袋に無残に放り込まれていれば「残飯」だと感じてしまうのが人間です。
錯覚資産を増やし磨くことで一流の人の料理だと思われるか、それとも残飯だと思われるか、どちらを選びますか?
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール
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ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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