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2019年01月05日 アフリカへの電撃移籍を発表した横浜F・マリノス 中町公祐選手へのスペシャルインタビュー

アフリカ(ザンビア)のチームへの電撃移籍を発表した、横浜F・マリノスの選手会長、中町公祐選手へのスペシャルインタビュー。



インタビュアーは自身もサッカー歴30年以上、少年サッカーチームのコーチも務めるロゴデザイン専門会社ビズアップ代表津久井。ふたりは中町選手が代表を務めるNPO法人のロゴマーク作成の仕事を通じて知り合い、意気投合。今回はビズアップ代表津久井がアフリカへの電撃移籍の真相やそこにかける熱い想いを中町選手からお聞きしました。



ビズアップ代表津久井(以下、ツクイ):ざっくばらんな感じで全然いいと思うんですけど、今回の概要としてマチさん(中町選手)がJリーグ、横浜F・マリノスを離れて、なんとアフリカのチームに移籍をするということで、ぜひマチさんからその概要というか、大ざっくりなところのお話をお聞かせいただきたいんですけども。


中町公祐選手(以下、中町):そうですね。5年前から僕の友人が持ってるNPO法人を通じてアフリカにボールを送るというプロジェクトを立ち上げて、最初は本当にひょんなところからボールを、1試合勝ったら5球送るっていう活動を始めたんですけど。

なんか自分が思ってた以上に経験と年齢を重ねるにつれて、自分が活躍して自分がハッピーになるっていうことだけじゃなく、もちろんそれは見に来てくれたサポーターやスポンサーをしてくれる会社の方々や、マリノスのフロントや関係者の方々の幸せってあるんですけど、本当に遠いアフリカの地で、自分が送ったボールを笑顔で追いかけてる子どもたちの姿っていうのを、写真とかで送ってもらったりとか、手紙を自分宛に送ってもらって。そういうのをやり取りの中で、サッカー選手としてのモチベーションというのがすごく高まってきて、自分のためじゃなくて人のためにサッカー選手として自分が存在してる意義っていうのが、ふっと落ちてきたっていうか、明確になったというか。

僕はアフリカに送るボールにマリノスのエンブレムを付けて、そのボールを遠いアフリカの地でアフリカの子どもたちが追いかけているっていうの感動的だなと思って、そういう意味も込めてやってたんですけど、その「つながり」というのを感じることによって、自分のサッカー選手のモチベーションが高まっていきましたね。

自分のキャリア的に他の人と違って、一回プロに入って……僕の高校からプロ選手になったのも自分だけですし、自分しか辿っていない道じゃないですけど、そういうような人生を歩んできて、一回クビになって、大学行ってからまた戻ってマリノスにっていうのも、なかなかのアップ&ダウン(な人生)で。

そんな中で自分がサッカー選手としてやれること、僕は今33歳なので、これからそんなに長くはない現役生活の中で、やはりサッカーっていうのをコミュニケーションツールとしてどういうふうに自分が、それはマリノスだけじゃなくて日本サッカー界、アフリカサッカー界、日本のサッカー界だけではない日本人の方々にどういった影響を及ぼすことができるのかなと考えたときに、自分の中で「アフリカ」だと。


ツクイ:なるほど。現役のJリーガー、J1の選手で、しかも選手会長。マチさんほどのレベルまでいった人でアフリカにいきなり行く人って、前例ないわけですよね。


中町:前例ないですね。日本人の方、何人かぽつぽついるらしいですけど、Jリーグからの直接移籍はないんじゃないですか。


ツクイ:やっぱりそのあたりは、新しいことやりたいみたいなのが常になんかあるんですか?


中町:まあ、ただただ新しいことをやりたいっていう切り口だけではもちろんなくて、そこには本当にさまざまな側面があった上でのアフリカだと自分では思ってるんですけど。そうですね。

マリノス以外の日本のクラブのユニホームを着るイメージがつかなかった

ツクイ:そもそもアフリカだと思った理由とか、ボールをプレゼントするって関わりも、「アフリカだ!!」って一番最初に思ったきっかけって何だったんですか?


中町選手:それはもう本当にたまたま親しい友人がアフリカと繋がっていて。ボランティアって入口はどうでも良いと思うんですよ。きっかけとかって人それぞれあって、それはもしかしたら街角かもしれないし友人かもしれないし、自分で何かサイトを見たりとかする可能性もあるだろうし。

ただ、自分も偶然にもアフリカというところに目が向いて、これだけ自分の中にアフリカというのがすごく大きな意味を持つところになって、仮にも影響力ある立場にいる人間としては、ボランティアが是か非かというのはもちろんあると思うんですけど、そのボランティアのやっぱり質とかにもよるので。もちろん様々な活動をしていらっしゃる方々もたくさんいますし、それは日本国内の被害とか災害を受けた方々に支援してる人もたくさんいる中で、自分はアフリカに目が向いたので、なかなかイメージが湧かないであろうアフリカのことを、より多くの人に知ってもらえたらなと思って。


ツクイ:その中で、どの辺りぐらいからサッカーでアフリカ行くみたいな意識とか、移籍も含めてアフリカでサッカーやろうかなと思いはじめたのって、どんなタイミングでいつぐらいだったのですか?


中町:今シーズンなかなか試合に、今までと同様に出れなくなって、自分と向き合う時間が多くなりました。もちろんマリノスでやれること、やらなくちゃいけないことっていうのを自分の中では明確には持っていて、その中でもいろいろないい選手ももちろんいますし、自分にとってどういう選択がベストなのかって考えたときに、あまりマリノス以外の日本のクラブのユニホームを着るイメージがつかなくて。


ツクイ:なるほど。


中町:もともと僕、大学を卒業してアビスパ福岡に入ったときに、海外移籍っていうのを最初から目指していて、その経緯もあるんですけど。だから海外にサッカー選手として行きたいというのがあって、それはサッカーをコミュニケーションツールとしてちょっと海外でというのはあった中で、そこから10年弱、プロサッカー選手、Jリーガーとしてプレーした上で、そのときは海外といってもアフリカなんて思ってませんでしたけど、このタイミングでなんか自分の中で「アフリカだ」と思いましたね。


ツクイ:「アフリカ」で「サッカー」と思いはじめたのはとわりと最近なんですね。

「ぶっとんでんなマチさん」ってなると思う(笑)

ツクイ:マリノスのファンとかサポーターの人はびっくりすると思うんですけど、何か伝えたいこととか理解してほしいこととか、感じてほしいことってありますか?


中町:たぶん「ぶっとんでんなマチさん」ってなると思うんですけどね(一同笑い)。自分の中では、在籍した7年間で本当にマリノスのためにっていう思いで、本当にマリノスに忠誠誓ってやってきた自信はあるし、ユニホームを変えるっていう決断も簡単ではないですけど、そこに関しては揺るぎない自信があって、このマリノスファミリーが良くなるためにという思いのもと、僕はずっとやってきたんですけど。

アフリカに対してどうこうっていうのはもちろんあるんですけど、(サポーターの方々には)まずはやっぱりマリノスというチームを支えてもらい、そこからさらにこう……


ツクイ:なるほど。そして引きつづき、アフリカに移籍した後のマチさんも応援してほしいっていう・・・


中町:マリノスはもちろん僕の中で特別なクラブなので、サポーターの方は僕にとっては特別なサポーターですけど、ちょっと枠を超えて言うと、やっぱり自分はもう日本とアフリカの架け橋になるという意気込みで行くので、いろいろな兼ね合いで、やっぱりこれはただの自己満足なのかなって思ったりする瞬間もあるんですけど、まあでもなかなかハードルも高いし、もちろん物理的に距離も遠いしっていう中で、自分がアフリカに行くことによって、何か生み出せるものがあるんじゃないかなっていうのを信じて。

あとは、サポーターの方々もそうですけど選手ですね。プロサッカー選手やプロスポーツ選手というのが、社会のために何ができるか。海外の名だたるプロアスリートの方々って、やっぱり慈善活動とか、それはただの、見せ方の人もいるかもしれないけど、やはりそういうところで自分の中で人間性とか、自分という人間をつくっていってると思うんですよ。なので、プロアスリートがよりそのような活動に積極的になるように、まずはそういう日本のプロアスリートであってほしいなっていう思いで、それを俺が先頭切って行っちゃいますよって感じですね。

ガーナの学校とサッカーコート

ツクイ:そしてアフリカっていうのがまたすごいですけど。アフリカのイメージって、テレビを通して何となくは分かるけど、実際どんな感じなんですか。何回か行ってるというところでいくと。


中町:まあ、実際行ってみてイメージが湧いたっていうのがあるかもしれないですね。僕、6月のワールドカップ期間のときに長期オフだったので、友人のNPOがガーナに学校を建ててる関係で行ってきました。やはりイメージ、あまり治安が良くないとか、汚いとかそういういわゆる悪いイメージばかりが今まで僕の中でもあったんですけど、いざ行ってみたら何も。ガーナに関してですけど、心配なことはなく。


ツクイ:へー、そうなんですか。


中町:あれ、こんなものなのかみたいな。もちろん食事も全然大丈夫ですし。なのでそのときに、ちょっとアフリカで何かをするというイメージっていうか、なんか面白そうだなというのはあったのかもしれないですね。この時点で移籍までは全く考えつきませんでしたが。


ツクイ:意外にもそんなに治安は悪くない、場所によってはっていうこと。


中町:全然悪くないですね。あとは、僕はあまりこれ公の場で話さないんですけど、2番目の息子を亡くして、それも自分の人生の中ですごい大きな出来事だったのですが、ガーナのNPOで建てた学校のサッカーコートに、自分の息子の名前を付けてくれて、ヒュウゴスタジアムっていうんですけど、そこに大きな象徴のポプラの木があって、そこの下に自分の息子のお骨を埋めさせてもらっていて、より一層アフリカに対して自分の息子との関わりで思いが強くなったというのはあるかもしれないですね。

移籍先のチームについて

ツクイ:少し話題は変わってしまいますがアフリカのザンビアで所属するチームの情報とかは、お聞きしてもいいですか。


中町:何チームかもちろんコンタクト取っていましたが、その中で首都ではなく第2・第3都市にあるチームで、ゼスコユナイテッドFCというチームなんですけど。スタジアムが、日本でいう旧国立競技場ぐらい大きくて、収容人数5万人。「こんなところにこんなのあるの?!」っていうぐらいきれいなスタジアムで。すごくやっぱりアフリカってサッカーがどの地域もみんな大好きなスポーツで。そのゼスコっていうのはここ直近5シーズンで4度リーグで優勝していて、日本でいうアジアチャンピオンズリーグの、分かりやすく言うとそのアフリカ版に出てて、そんなのも自分としてはすごい良いチャレンジかなっていう。


ツクイ:ほかにも幾つか(のチームに)接触はしたわけですよね。その中で。


中町:接触はしましたね。僕はエージェントがいないので、知り合いを通じてとかアシスタントをアフリカに送り込んで、交渉っていうか下準備みたいなっていうのはさせましたね。


ツクイ:すごいですね。エージェントなしでできるもんなんですね、それが(笑)。


中町:いや、大変ですよ。大変ですよっていうかいろいろ、はい、ありますよね。


ツクイ:あんまりそういう選手っていないイメージなんですけど、結構いるんですか、海外と自分で交渉するなんて。


中町:海外を渡り歩いてる人はいるみたいですよ。日本でプレーしていて日本から海外に行くってなった時にエージェントがいないっていうのはなかなか聞かないですね。


ツクイ:しかもマチさんみたいにマリノスの選手会長までいったクラスの人で、エージェントなしで(笑)。


中町:マリノスの契約更改っていうか契約交渉するときは、全然問題なくっていうか、もちろんもう知ってる人たち同士なので信頼関係も築いているので。それでもエージェント付けたほうがうまく物事が進むときありますけど。僕はあまりそういう交渉の仕方はしてなかったんで、今まで。

ビニールを丸めたボールを追いかけるアフリカの子どもたち

ツクイ:NPOのほうのお話も少しお聞きしたいなと思うんですけども。まずこのNPOは、さっきもお話にチラッと出ましたけど、具体的にどんな活動をするところなんですか。


中町:基本的にはサッカーボールをアフリカ全土に送る。あとは先ほど言った息子の関係で、医療関係もアフリカはまだ整備されていないところもあって、そういったところをサポートしていきたいという。でも、もともとにある気持ちとして、やはり自分の実体験でボールをアフリカの子どもたちに届けることによっての、やっぱり彼らの笑顔だったり。なかなか自分たちの将来というのが、夢や希望というのが明確に見い出せない子どもたちがいるのも現状で、遠い日本人が、プロサッカー選手が来て、ボールくれたなっていうのが彼らの体験になって、そこから少し、選択肢とか考えるキャパシティーみたいなのが広がったらなっていう思いで立ち上げました。


ツクイ:すごいですね。そこからだって例えばヨーロッパに行く選手が出るかもしれないしとか。


中町:そうですね。だから何が起きてるかというと、やはりアフリカって青田買いとかって多くて、もう本当に若い内からヨーロッパに買われたりとか、どうしても目先の金銭みたいなところにとらわれちゃうようなところがあるんですけど、こういうNPO法人とかNGOっていうのはちょっとそういうところじゃなく、やっぱりもっと根底の部分で大きい、大多数の人にちょっとアクションを起こせればなっていうのはありますよね。


ツクイ:実際、アフリカの子どもたち、まあ大人もそうなんですけど、サッカーボールって手に入るんですか。普通に売ってたり買えるような金額のものなんですか。


中町:これ案外、中心部だったら全然普通に売ってるんですよ。だけど、村のほうに行ったら、もちろん全然ないです。少なくともちょっと車で1時間とか行ったら、もう道も舗装されてないガタガタの所で、本当にビニールを丸めたボールをみんなで追いかけてるみたいな感じなので、それ最初見たとき衝撃でしたけど。だからそういうのももちろん一つありますし、アフリカ人同士でのボランティアって実はあまりないんですよね。日本人って日本が例えば東北で震災が起きたら、日本人が何か物資届けたりするじゃないですか。その感覚があまりアフリカにはなくて。僕が行ったガーナの都心部にボールが普通に売ってます、じゃあそれを村に届けるかといったらそれは一切ない。


ツクイ:なるほど。


中町:多分、外の人がやるしかないっていうのがありますね。

「やっぱりロゴって結構そういう力があるな」

ツクイ:ちなみにロゴに関しては、いかがですか。うちはロゴマーク屋なので、ぜひぜひ。


中町:ロゴはもう、茂さん(※)さまさまです(笑)。
(※ビズアップ契約デザイナー)。


ツクイ:うちの仕事で国立競技場のロゴもつくったデザイナーですね。


中町:もう抜群の、自分たちのイメージ……まずステップとして何で僕らが最初にビズアップさんを選ばせてもらったかというと、ただ向こうからポンと出てくるっていうよりは、こちらと寄り添って自分たちの思いとそのビジョンとっていうところを、すごく形にしてくれる、そのまずプロセスがあって、そのやりとりももちろん会社の方がわざわざ来てくださって、そのやりとりがあって、僕らはこういうことしてこういう思いでこういうのをやりたいんですよっていうところから出てきたっていうのが、一つすごく自分たちにとってはとてもありがたかったですし。

それで出てきたロゴっていうのが、もちろん僕たちが今まで持ってたイメージとかやりたいことっていうのはあったんですけど、さらにそのロゴに引っ張られて、こういうことやるんだっていうモチベーションに繋がるみたいなのが、やっぱりロゴってそういう力があるなっていうのを、今回すごい身に染みて感じました。


ツクイ:ありがとうございます。うれしいですね。3パターンお出しして、わりと悩みましたよね。そうでもないですか。


中町:いや、それはもう単純に僕の絵心が無さで(笑)。


ツクイ:いや、そんなことないと思いますけど(一同笑い)。


中町:なのでこれだっていうのは思ったんですけど、あとは自分がいいと思ってもね、皆さんがどう感じるかとかどう思うかというのは違うと思うので。ものすごく悩みましたけど(笑)。


ツクイ:はい。


中町:ただすごいですよね。1つのロゴだけでもいろんな意味があってこういう思いがあるんですよっていうのが、明確になっているので。


ツクイ:そうですね。ストーリーをやっぱりそこに、ロゴにいかに差し込めるかっていうところをすごく大事にしてますね。

ボールひとつで世界とつながる

中町:アフリカの子供たちは成功体験がなさすぎて、学校で勉強したらどのルートに行くかというのがイメージできないから、それだったら親が子供に水汲みをさせるという話で。子どもたちが教育できないというのはそういう部分にあって、ザンビアは都市部でもそれだから、村へ行ったらもうなおさら。その日を生きる為に必死になっているという事もあるんですけどね。村は今回行けなかったですけど、でも今回ザンビアに行ったことによって、JICA隊員とかのネットワークはある程度作れましたし。


ツクイ:なるほど。


ツクイ:なんかマチさんのその価値観の何だろう・・・が、なんか話聞いてて、こういうような人生を送ってほしいとか、こういう何かを具体的につかんでほしいとかじゃなくて、なんかヒント、そういう世界観を広げるとか、ご自身もそうなんでしょうけど、何か散見されたヒントをパッと集めてキュッといくすごい力があるなと思ってて。そう、何だろう、すごく理論的なんだけどすごく何ていうのか、感覚的っていうか。でもそういうのを子どもたちにもこの活動をとおして与えるために、きっかけとかアイデアとかっていうのを振りまきたいのかなっていう気がしてたんですけど。だって具体的に日本に来てほしいとか、日本のサッカー選手になってほしいっていうことではないんですよね。


中町:それももし仮にプロサッカー選手である以上、そういう可能性はアフリカのチームには持ってほしいですけどね。アジア市場っていうのに。ただすっと上にヨーロッパに行くのではなくて、いろんな選択肢っていう。これは少し一個先の話なんですけど、NPO法人もそうなんですけど、要はアフリカ人って、もらうことに慣れちゃってるっていう側面もあって。やっぱり自分たちで立ち上がらないと、本当に世界から搾取されるし。

だからそこら辺は平行して、もちろん村へ行ってボール届けて笑顔になってというのプラス、未来に向かっての道しるべみたいなのは、少し付けたいなと思うんですけどね。ただもらってありがとうで、みんなからいろいろな支援をもらうだけじゃなくて、本当に自分たちで自立するっていうのは、ここから先アフリカが人口も増えて発展していく上では、すごい重要なのかなと思ってるんですけどね。それはでもやはり、自分がもう本当に寄り添ってやるっていうところが、やっぱり僕はベースだと思ってるので移籍したいなと思ってるんですけどね。


ツクイ:飛び込んできてくれたら、だいぶインパクト大きいですよね、やっぱり。


中町:そうですね。そう信じているんですけど。後は何をやるかじゃないですか、今後、自分が。もう本当にただパッと行って、SNS発信だけっていうのではなくて、様々な人たちを巻き込みながら、日本でのそれこそTICADというアフリカ国際会議だったりとか、そういういろいろな活動を交えて、知られる規模っていうのを増やしたいなと思うんですけどね。


ツクイ:じゃあやっぱり日本の認知、アフリカでの認知っていうのも上げたいっていうことなんですね。


中町:そうですね。そのパワーをこのロゴに。はい。

憧れだったマリノスでの、本当に大切な7年間

ツクイ:なんかマリノスへの感謝とか思いとか、何か伝えたいメッセージみたいなのはありますか。


中町:それはもういくらでもありますよね。実はもともと僕、マリノスが一番好きなチームだったんですよ。僕が7歳かな、Jリーグができて、マリノスの帽子とかすごい流行ったじゃないですか。ヴェルディとかマリノスの帽子とか自転車とか。


ツクイ:はやりましたねー、ヴェルディとマリノスは。


中町:実は、僕の兄がヴェルディ(の帽子)で僕がマリノス(の帽子)だったんですね。なので、ずっと自分としての憧れのチームみたいなのもありますので。やっぱり日本国内では僕はマリノスが一番だと思っているので、そういうチームで7年もいれて、ましてやこういうふうに本当に大事に、会社からもそうですしサポーターの方々からも大切にされたって実感出来たのは、本当に自分の中では宝物で。

あとはだから、引き際じゃないですけど、僕結構武士道的な考えがあって、生き様と死に様みたいなところがあるので、じゃあ自分がマリノスが大好きでマリノスにずっといたいっていう気持ちが、逆に相手にとってのそれがベストなのかってなったときに、それがもし仮に少しでもそのバランスが崩れているのだったら、やっぱり僕はそこはマリノスにいるべきではないと思うし、自分がすごいリスペクトして大切なクラブだからこそ、自分が離れることによって・・・

やっぱり選手は「一選手」なので、やっぱりクラブっていうのが先に来るべきだし、マリノスのエンブレムっていう重みを僕は理解している、人よりも強く感じてる以上、このタイミングで離れるのは寂しいですけど、マリノスと離れる道っていうのを選びました。

ただ、本当に大好きなこのクラブを、マリノスファミリーのみなさんそしてこれから先縁のある方々にはぜひ支えていただけたらと思います。

中町選手、ありがとうございました!アフリカでの活躍とまたお会いする日を楽しみにしています!

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投稿者プロフィール

津久井 将信
津久井 将信
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。

かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。

2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。

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