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2020年08月21日 メールマガジン 商品開発 法則・ノウハウ 経営 【第539回】小規模飲食店の立地に関する一考察(おとんとおかんの失敗談)

こんにちは。

ロゴ作成専門ビズアップ 津久井です!
https://www.biz-up.biz


先週はお盆休みということでメルマガ休刊させていただきました。

毎年恒例のヨメの実家(愛知県豊田市)でダラけるという行事はコロナによりあえなく中止。コロナ、私自身はまったく気にしていませんが、やはり義実家に被害が及ぶ可能性がありやめました。

あれです、青森に帰省した人の家の玄関に、いわゆる「コロナ脳」の人(コロナの恐怖に侵された人)が「東京に帰れ!」といったような、非人情的な張り紙をした事件のようなケースがヨメの実家のほうでもないとは言えないので。。。

そのかわり1日だけ自分の実家(東京都練馬区)に帰りました。

私自身、メルマガでは「コロナより経済を!」と訴えてきましたが、お恥ずかしい話、我が両親はまあまあな「コロナ脳」でして。。。

多少説得してみようと試みましたがダメでした。

自分たちを心配するというより、どちらかというと過去に重度の肺炎で死にかけた私を心配してくれている感じでそこはありがたいと思うのですが、コロナがどれほど危険ではないかとか、経済のほうがやばいかという話をしてもやはり反応が鈍い。

PCR検査がどれくらい不正確かという話や、陽性者と感染者は定義が違うのに国や都やその他自治体は陽性者を「感染者」と呼んで報道している件なども伝えたんですが「難しいことはオレにはわからん!!」と一刀両断されました(泣)。

で、私思うのです。

おそらく「コロナ脳度合い」と「テレビの視聴時間」には相関関係、いや因果関係があると!つまりテレビを見ている時間が長い、他の情報源を持たない人ほど重度のコロナ脳にかかっているということです。

なので私が子どものころに父親に言われた言葉をそっくりそのまま返してやりました。

「テレビばっかり見てんじゃねー!」(笑)。

世界ではコロナの対応を批難する大規模なデモが各地で行われているというにも関わらず報道しない日本のメディア。

他にも検索すると写真などがいっぱい出てきます。ドイツのデモの写真などは、2万人はウソだと一発でわかるほどの写真もいっぱいあります。

日本人はいつ立ち上がるのか?

言っときますが、政治家に期待してもダメですよ。自民党がいいとか野党に政権交代すべきだとか言っている時点で個人的にはダメだと思う。右だ左だなんて関係ない。

前もお伝えしたとおり、人間が極めて騙されやすいときというのは「自分で選んだと錯覚しているとき」です。つまり用意された選択肢から選んでいる時点で騙されている可能性が高い。

ビジネスもそうですが、多くの問題は「前段階に原因が潜んでいる」ことがほとんどです。どの政党に政権を取らせるかとか、国と自治体どっちが正しいかではなく、そもそもの今のシステムに問題の視点を移さないといつまで経っても対症療法で日本も世界もよくなりません。

その上で私は一番の問題はメディアだと考えています。「メディアが政治の問題をきちんと報道しない」のではなく、「政治すらメディアの手中にある」が正しい解釈です。ここが解決しない限り、誰が総理大臣をやろうと、どの政党が政権を握ろうと、自治体の首長が右だろうと左だろうと同じことの繰り返しです。構造としては政治家よりメディアのほうが権力が強いということです。

ふう。今週はこれくらいにしておこう。

話は飛んで、今朝自宅を出るときに玄関でこれを見かけました。

はい、電子レンジです。捨てるんですね。

電子レンジって体に悪いとはよく言われていますが、それは電磁波を出すから。ところが、電子レンジで調理されたものを食べるのも体に悪いそうですね。最近ヨメは脱レンジ生活を目指していまして、残り物のご飯を温めるなども蒸し器を使っています。

しかもこの電子レンジ、相当古いのでより体に悪そうです。なにせこの電子レンジは私が学生の時から使っている「24年モノ」のレンジですからね。それで記念に写真を撮ったわけですが、このレンジはある理由で私が両親から譲り受けたものです。

本日は私の両親の過去のお話。コロナ脳になる前のお話です(笑)。

このメルマガをよく読んでくださっている方ならご存知と思いますが、私が年に1回は紹介している私の両親(経営者だった)の話があります。

神田昌典さんの書いた名著「成功者の告白」になぞらえて、父親が経営者としてどんな人生を歩んできたのか、会社経営でどんな事件が起こったかなどをお話させていただく、このメルマガ定番の人気の回です。

で、今日はそのスピンオフというか。。。

実は父親は会社をやりながら飲食店に手を出し失敗したことがあります。

本日は、そのときの失敗談やなぜ失敗したか、などのお話を軽くストーリー仕立てでお届けしてみたいなと思います。


私が大学2年生のときでした。

当時の私は勤労意欲というものがほとんどなく、よく両親にたしなめられていました。「バイトしろ!」と怒られたこともあります。冗談抜きで社会人として機能しない人間なのではないか、就職できるのだろうか、社会不適合者なのではないか、と自分でも思ったほどです。

そんな私ですが、さすがに週に2日だけはアルバイトをしていました。お寿司屋さんで17時〜22時までの5時間。

夏休み前のできごとです。父親から連絡が来ました。

「いよいよ店をオープンする。夏休みの間、お前も手伝ってくれ」

店をはじめることは以前から聞いていましたがバイトがあるからムリと告げると、過去にあれだけ「すぐに仕事を辞めるヤツはダメだ!仕事っつーのはそういうもんじゃねえ!!」とかなんとかよく言っていた父親がそのときに限って

「薄情者!バイトなんてすぐ辞められるだろ!」

と言ってきました(汗)。

ちょっと頭が混乱しましたが、そのときのお寿司屋さんもとても良くしてくれた板長さんが濡れ衣的なできごとでクビになりかけたり、収益がでていなかったその店をチ◯ピラみたいな人が買収する、なんていうウワサもあったのでたしかに潮時だとも思い、アルバイトを辞めて父親の飲食店を夏休みの間だけ手伝うことにしました。

父親は出店の3ヶ月前に、本業の休みの日だけある店に修行に言っていました。

その店は、「ゼリーフライ」というナゾのネーミングを持った、父親の出身である埼玉県行田市のソウルフードのお店でした。

貧乏だった子どものころからゼリーフライを食べて育った父親はその味をずっと覚えていました。そして、「これは売れる!!」と父親なりにずっと心の中で想いつづけていたようなのです。

ゼリーフライはおからとじゃがいも、ちょっとした野菜を素揚げしたコロッケのようなもので、ソースをつけて食べます。私も子どものころ、おばあさんの家に行くとよく食べてました。材料のほとんどがおからで、豆腐屋さんからいらなくなったおからを安く分けてもらうため、原価はものすごく低いです。豆腐屋さんからしたら廃棄コストがかからなくなり、Win-Winです。

※ゼリーフライの写真

3ヶ月間、母親と一緒に休みの日に行田市に帰り修行をした父親は、意気揚々と物件探しをはじめます。

本業が車を使う仕事でしたのでいろいろな場所の土地勘が一応あり、時間ができると車を走らせてよく見て回っていました。

そしてついに、父親いわく「確実に流行る!!」という物件を探し当てました。

物件は小さく古いですが、賃料も手ごろで、何よりその物件は駐車場付きで、目の前は朝晩と車が渋滞する交通量の多い通りが走っている、と父親は熱く語りました。

父親の中では出勤前の朝ごはんとして、また帰り道の小腹満たしに、こんなニーズにうってつけの商品(しかも原価が安い)と物件を手に入れたと思ったようでした。

つまり、彼なりに「勝ちパターン」だと思ったようなのです。しかし、物事はそう計算通りにうまくいくとは限らないということを、当時の津久井家親子3人、誰もわかっていなかったのです。


いよいよお店がオープンする、そんな数日前のこと。

まず、厳しい(?)修行により両親が身につけた「ゼリーフライ」は、名前がいまいちということで母親の発案で「サラダフライ」という名前で販売することにしました。そして、東京ではサラダフライだけではお客さんのニーズに応えられないだろうと、ホットドッグも売ることにしました。

イートインスペース5席程度とお持ち帰り用のカウンターのあるこじんまりとしたかわいらしい店。お店の名前は「オレンジハウス」に決まりました。

内装が終わった店でサラダフライの試作をつくりはじめてみると、修行に行った先と同じ機械をいれているのに、同じ味がなかなか再現できません。

大きさも小判型でコロッケ程度あるゼリーフライに対し、サラダフライはチキンナゲット程度にしないとうまく揚がってくれませんでした。

ソースはゼリーフライが秘伝のものに対し、さすがにそれを分けてもらうわけにはいかず、サラダフライは市販のソースで食べることになってしまい、最終的には「ソースより塩コショウのほうがうまくね?」ということで味付けも変わり、サラダフライはゼリーフライとはまったく別の食べ物になってしまったのです。

それでもなんとか両親は店のオープンにこぎつけました。親子3人でオレンジハウスを開始。

父親は朝は本業の会社に行き、朝礼だけ済ましてすぐに店にきました。母親は本業の会社には出社せず、自分の持っているお客さまも他の従業員に引き継いで、オレンジハウスに専念しました。

はじめは近隣住民の方も「お?なんかできたぞ??」ということで来店してくれましたが、店はすぐに閑古鳥が鳴きはじめます。

まず、父親があれだけ長年恋い焦がれ想いつづけたゼリーフライ改めサラダフライは見事に売れませんでした。。。それはもう、ゼリーフライの名誉すら傷つけるほどに。。。

近くにテニスコートがあった関係で、ジュースを買いに来るお客さまは比較的いたのですが、そういったお客さまにサラダフライの試食を進めても「ふーん」といった程度のリアクションしかもらうことはできませんでした。そりゃそうですよね、夏のクソ暑い日に揚げ物よこされても(汗)。

ホットドッグは「すごく美味しかったから」とリピートしてくれる人もいてそこそこ評判が良かったのですが、母親が妙なこだわりを見せて高いパンを仕入れていたため、売価を高くせざるを得ないわりには小さくて、男性客からしたら物足りない食べ物になってしまっていたのでした。

また、塩コショウで食べるほうがメインとなったナゾの進化を遂げた「サラダフライ」はビールに合うぞという話になり、父親は生ビールサーバーを店に導入、お酒を売ることを決めました。しかし、こんなツギハギ的な戦略がうまくいくわけはなく、ビールは思ったように売れませんでした。今なら突っ込めます。「ロードサイドでビール出してどうすんじゃい」と。

結局、「ダメにしちゃうのもったいないから」ということでタンクに残って3日目くらいの生ビールは、閉店後の店で夕飯として出た売れ残りのホットドッグとサラダフライとともにすべて私たち親子3人の胃袋の中に見事に吸収されていくこととなってしまったのです。まるで大学の学祭なんかで出店しているヤツらが店の酒を呑み尽くしてしまうような光景です。

何より一番の大誤算は物件のポテンシャルを見誤ったことでした。

まず、父親が「朝夕に渋滞する」といった目の前の道路は大した渋滞もなく、交通量こそ多いもののみなさんスムーズに店の前を通過されていきます。

渋滞までは行きませんがたまに信号待ちの車が列をなすことがあり、そのときには私が揚げたてのサラダフライを持って車に駆け寄り試食を勧めたりもしましたが、なにせ当時の私はこんな感じの青年だったので怪しさ満点。

信号待ちしてたら勝手にフロントガラスを磨きだしてお金を請求するような発展途上国の子どものように、「食べたらお金を請求されるんじゃないか」という不安をみなさんに与えていたかもしれません。。。改めてここでお詫び申し上げます。

父親の中では店が繁盛するだろうから3人は店員が必要だと思っていたようですが、私が大学の夏休みが終わってひとり暮らしをしていた横浜にそろそろ帰らなければならないというときには、店員は母親ひとりで十分という泣きたくなるような状況になっていました。

結局、私もバイト代を2ヶ月で1万円しか受け取らず、店は私が夏休み明けで横浜に戻ってから1ヶ月程度で閉店することとあいなりました。

メルマガ冒頭の電子レンジ、なぜ思い入れがあるかというと、オレンジハウスで使用していたものなんです。


そのころ本業の会社では事務所にほとんど現れない父親と母親に社員の不満が集中、店を辞めた後に両親は社員から吊るし上げられるという弱り目にたたり目のような事件も起こりました。

私は抜け殻になった両親を見て、ちょっとだけリアルに、「この人たち自殺とかしないよな」と心配になりました。

こんなできごとが私の商売観みたいなものに大きく影響しています。

中でも一番ショックだったのは、そもそもお客さんが来ないことでした。「おいしいから」と何度か通ってくれる人がいることを考えると、味が原因ではないと思ってはいました。

やはり立地の問題が一番大きかった。「良いものさえつくれば売れる」という考え方は本当に間違っていると思います。

このできごとから、私は大学の卒論のテーマを「小規模飲食店の立地に関する一考察」としたくらいです。

また、ゼミの同期たちが図書館に行ってよくわからないけどテーマに合いそうな文献を漁ってツギハギだらけの卒論をつくる中、私はひとり実地調査をしたほど。大学の最寄り駅の商店街にいって、居酒屋さんや中華料理屋さんなどに「なんでここに店を出したんですか?」と聞いて回ったのです。中には「スパイじゃないか?」と疑う店主さんもいて、大学の学生証を見せながらインタビューしてまわりました。

その中のひとつのお店の店長さんは、競合が多い商店街でなぜ店をはじめたかについて、「競合が多いからここに出したんだよ」と教えてくれました。たくさん店があるということは人がそもそもそこに集まりやすい、だからそういった人たちの中でも行く店がまだ決まっていない人の選択肢の中に入ることが重要なんだと。こうやって自分で調べて気づいたりわかったりしたことは一生忘れることはありませんね。

気合を入れて書いた卒論でしたが、私がゼミの教授にやたらと気に入られていたことで、「うーん、お前のは読まなくても大丈夫だろ」というナゾのお墨付きをいただき、フィードバックをもらうことはその後ありませんでした。悲しい結末。

時は流れ。。。私がサラリーマン時代のことです。

バンドでメジャーデビューするという夢はボチボチいいところまで行ったにもかかわらず断たれ、「こうなったら社長になるしかない」というナゾの目標設定が自分の中でなされます。

「独立したい!」と心から思ったとき、今すぐできることは何かと考え実践したのが「ビジネス書を読む」でした。小説とマンガしか読まなかった私にとってビジネス書を読むというのは革命的でした。

しかし、どんな種類のビジネス書を読めばいいかがわからない。本屋さんの書棚をみていたときに1冊の本が目に飛び込んできました。

人が集まる、だから儲かるこれが「繁盛立地」だ!! -林原安徳 著-

これしかないと思いました。私のビジネス書デビューにふさわしい1冊。

即購入した私は、本を読んで愕然としました。なぜなら、本には「オレンジハウス」と同じような条件の立地には「出店してはいけない!」と書いてあったのです。

そうです。オレンジハウスは飲食店の立地としてふさわしくなかったのです。

まず、オレンジハウスの目の前の道路は大きくカーブしていました。カーブの内側に駐車場を挟んでオレンジハウスがありました。これは、ロードサイドの出店条件として避けるべき条件だったのです。なぜなら、カーブの内側では、ドライバーからして物件を認識しづらいからです。そして交通量がそこそこ多いわりには車が流れていましたから、反対車線の車はこちら側に入りづらい。

ナゾの揚げ物、食べ足りないホットドッグ、ロードサイドでの生ビール、認識しづらく入りづらい店舗。

勝ちパターンどころか負けるための条件のほうがよっぽど多く揃っていたわけです。


人によっては飲食店は立地が8割といいます。ドトールコーヒーやマクドナルドは飲食店ではなく「不動産業だ」と言われるほど。

洋麺屋五右衛門を運営する日本レストランシステムの代表は、「飲食業態の寿命はどんどん短くなっている。だからこそ立地はより重要で、良い立地の店舗さえ抑えれば数年おきで業態チェンジできる。」と以前出演したテレビで言っていました。

私も素人ながら飲食店は立地が最重要だと思います。それでもへんぴな場所でうまくいっている飲食店があるのはなぜでしょうか。

その答えは、おそらく「ブランディング」です。

ブランディングは「選ばれるための試作」。「へんぴな場所でも選ばれるとしたらどうしたら良いか?」という質問に対してきちんとした回答を用意できた店がうまくいくのだと思います。

間違っても「美味しいものさえつくればいい」わけではありません。「美味しいものさえ・・・」はある意味、思考停止状態です。

場所が悪くても選ばれ、記憶に残り、再来店してもらう、そのための試作(ブランディング)としてどんなことをすればよいのか。

もし私が今からへんぴな場所でしか飲食店をはじめられない、という条件付きで飲食店をはじめるとしたら、私であれば実地調査をします。

へんぴな場所なのにうまくいっている店、へんぴな場所でやはりうまくいかなかった店、そういった店が何をしたのか(しなかったのか)、何を売っていたのか、どんな表現を使っていたのか、こんなことを調べると思います。そういったエリアでも選ばれる方法はないのか。そんなことを実地調査をしながら考えるわけです。

それでも、つまりブランディングで立地の悪さをカバーする方法があるとしても、飲食店をうまくいかせる要因の多くは立地にかかっていると私は思います。だから、へんぴな場所は実地調査の結果、「やらない」という判断も十分にあります。

もしこれからなんらかの店を出店する計画がある場合は、ぜひ立地の検討のウェイトを重くしてほしいです。

また、両親のオレンジハウス失敗にはもうひとつ重要な示唆が含まれています。それは

経営者は何かしらの会社、ビジネスがそこそこ上手くいったら、他の事業、商品でも上手くいくという錯覚を持ちがち

だということです。新規事業が上手くいく確率の低さがそれを物語っていると思います。私自身もビズアップで余計なことをしようとして失敗した経験があります。おそらくこれは「経営者あるある」ではないでしょうか。

さて、ホットドッグとサラダフライで大きな挫折を味わったはずの両親ですが、なぜかその後の人生でもう一度だけ飲食店を開始します。

今度はどんな立地だったのか。

それは、ベトナムはハノイの日本大使館前。。。

30年間つづけた本業の会社を売却した後、もう一旗揚げたいと両親はベトナムに移住。やはり飲食店に対するリベンジの気持ちもあったのでしょう。ハノイで日本料理店(居酒屋)をはじめます。

今度は儲かったみたいです。でもふたりして体の調子が悪くなってしまい、1年半で店を売却して帰国。寄る年波には勝てなかった。せつない話ではありますが。。。

なお、不思議な話ですが、弊社のロゴディレクター林は、ビズアップに入る前に勤めていた会社のときにハノイに出張に行き、偶然にも両親の店に食事に行ったそうです。すごい縁。。。

「サラダフライ」は出てこなかったようですが(笑)

 

今回はここまでです!

津久井

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